(一四六)内裏女房

原文

  1. `同じき十四日生捕本三位中将重衡卿都へ入つて大路を渡さる
  2. `小八葉の車に前後の簾を上げ左右の物見を開く
  3. `土肥次郎実平木蘭地の直垂に小具足ばかりして随兵三十余騎相具して車の前後を守護し奉る
  1. `京中の上下これを見て
  2. `あないとほし
  3. `幾らもまします君達の中にこの人一人かく成り給ふ事よ
  4. `入道殿にも二位殿にも覚えの御子にてましまししかば一門の人々も重き事にして院内へ参らせ給ふにも老いたるも若きも所を置きてもてなし奉らせ給ひしぞかし
  5. `この人は奈良を焼き給へる伽藍の罰なり
  6. `と云ひ合へり
  1. `六条を東へ河原まで渡いてそれより帰つて故中御門藤中納言家成卿の八条堀川の御堂に据ゑ奉つて厳しう守護し奉る
  2. `院御所より御使に蔵人左衛門権佐定長八条堀川へぞ向かひける
  3. `赤衣に剣笏をぞ帯したりける
  4. `三位中将は紺村濃の直垂に折烏帽子引き立てておはします
  5. `日比は何とも思はれざりし定長を今は冥途にて罪人共が冥官に逢へる心地ぞせられける
  1. `仰せ下されけるは
  2. `八島へ帰りたくば一門の中へ云ひ送つて三種神器を都へ還し入れ奉れ
  3. `然らば八島へ返さるべし
  4. `との御気色なり
  1. `三位中将申されけるは
  2. `さしもの我が朝の重宝三種神器を重衡一人に替へ参らせんとは内府以下一門の者共が一人もよも申し候はじ
  3. `もし女性で候へば母儀の二品などもやさも申し候はんずらん
  4. `さは候へども居ながら院宣を返し参らんはその恐れも候へば速やかに申し送つてこそ見候はめ
  5. `とぞ申されける
  1. `院宣の御使は平左衛門重国御坪召次花方とぞ聞えし
  2. `私の文をば許されなければ人々の許へは詞にて言伝てらる
  1. `北方大納言典侍殿へも詞にて申されけり
  2. `旅の空にても人は我に慰み我は人に慰みしものを引き別れて後いかに悲しうおはすらん
  3. `契りは朽ちせぬものと申せば後の世には生れ逢ひ奉るべしと必ず一蓮に祈り給へ
  4. `と泣く泣く言伝て給へば重国も世に哀れに覚えて涙押さへて立ちにけり
  1. `ここに三位中将の侍に木工右馬允知時といふ者あり
  2. `その夜土肥次郎が許に行きて
  3. `これは年来中将殿に召し使はれ参らせ候ひし某と申す者にて候ふが西国へ御下りの時も御供仕るべう候ひしかども八条女院に兼参の者にて候ふ間京都に留まつて候ふ
  4. `弓箭取る身にても候はねば軍合戦の御供を仕る事も候はず
  5. `朝夕はただ祇候せしばかりで候ひき
  6. `それになほ覚束なう思し召され候はば腰の刀を召し置かれて枉げて御許されを蒙り候はん
  7. `と云ひければ土肥次郎情ある者にて
  8. `まことに御一身の御事は何か苦しう候ふべき
  9. `さりながらも
  10. `とて腰の刀を乞ひ取つて入れてける
  11. `右馬允斜めならず悦び急ぎ参つて御有様を見奉るにまことに思ひ入り給へると思しくて御姿もいたう萎れ返つておはしけるを見参らするに知時涙も更に押さへ難し
  12. `中将夢に夢見る心地してとかうの事をも宣はず
  1. `さて昔今の物語共し給ひて
  2. `未だ内裏にとや聞く
  3. `さこそ承り候へ
  4. `西国へ下りし時も云ひ置く事のなかりしかば
  5. `世々の契りは皆偽りになりにけるよ
  6. `と思ふらんこそ恥づかしけれ
  7. `文を遣らばやと思ふはいかに
  8. `尋ねて行きてんや
  9. `と宣へば知時
  10. `御文を給りて参り候はん
  11. `と申す
  12. `中将斜めならずに悦びやがて書きてぞ賜うてける
  1. `知時これを賜はつて罷り出でんとしければ守護の武士共
  2. `いかなる御文にてか候ふらん
  3. `見参らせ候はん
  4. `と申しければ中将
  5. `見せよ
  6. `と宣へば見せてけり
  7. `苦しかるまじ
  8. `とて取らせけり
  1. `知時これを取つて急ぎ内裏へ参り昼は人目の繁ければその辺なる小家に立ち寄り日を待ち暮らし黄昏時に紛れ入り件の女房の局の下口辺に佇んで聞きければこの女房の声と思しくて
  2. `人は皆
  3. `奈良を焼きたる伽藍の罰
  4. `と云ひ合へり
  5. `中将もさぞ云ひし
  6. `心に起つては焼かねども悪党多かりしかば手々に火を放つて多くの堂塔を焼き滅ぼす
  7. `末の露本の雫の例しあれば重衡一人が罪業にこそならんずらめ
  8. `と云ひしがげにさと覚ゆるぞや
  9. `とて泣きければ知時
  10. `あないとほし
  11. `これにも未だ忘れ給はざりけり
  12. `と有難う思ひて
  13. `物申さう
  14. `と云へば
  15. `何事
  16. `と答ふ
  17. `これに三位中将殿よりの御文の候ふ
  18. `と申したりければ日比は恥ぢて見え給はぬ人の
  19. `いづらやいづら
  20. `とて走り出で手づから文を取つて見給ふに西国にて生捕にせられたりし有様今日明日をも知らぬ身の行方を細々と書いて奥には一首の歌ぞありける
  21. `涙川うき名をながす身なりともいま一たびのあふ瀬ともがな
  22. `女房この文を懐に引き入れてとかくの事を宣はず引き被いてぞ臥し給ふ
  23. `かくて時刻遥かに押し移りければ知時のほども覚束なう候ふ
  24. `御返事賜はつて帰り参り候はん
  25. `と申しければ女房泣く泣く御返事書き給へり
  1. `心苦しういぶせくてこの二年を送つたりし心の内を細々と書いて
  2. `君ゆゑに我もうき名をながすともそこのみくづとともになりなん
  3. `知時これを賜はつて帰り参りたりければ
  4. `守護の武士共
  5. `いかなる御文にてか候ふらん見参らせん
  6. `と申しければ見せてけり
  7. `苦しう候ふまじ
  8. `とて奉る
  1. `中将これを見ていとど思ひや増さられけんとかくの事も宣はず
  2. `ややあつて土肥次郎実平を召して宣ひけるは
  3. `さてもこのほど各の情深う芳心おはしつるこそ有難う嬉しけれ
  4. `さては最後に今一度芳恩蒙りたき事あり
  5. `我は一人の子無ければ憂き世に思ひ置く事なし
  6. `年来契つたる女房に今一度対面して後生の事をも云ひ置かばやと思ふはいかに
  7. `叶はじや
  8. `と宣へば土肥次郎情ある者にて
  9. `まことに女房などの御事は何か苦しう候ふべき
  10. `疾う疾う
  11. `とて許し奉る
  1. `中将斜めならず悦び人に車借りて迎へに遣はす
  2. `女房取る物も取り敢へず急ぎ乗りてぞおはしける
  3. `縁に車を遣り寄せこの由かくと申したりければ中将
  4. `守護の武士共の見参らせ候ふに下りさせ給ふべからず
  5. `とて車の簾をうち被き手に手を取り組み顔に顔を押し当てて暫しはとかうの事も宣はずただ泣くより外の事ぞなき
  1. `ややあつて中将涙を押さへて宣ひけるは
  2. `西国へ罷り下り候ひし時も申し置く事候はずその後またいかなる便りにも御文をも参らせて御音信をも承らまほしう候ひしかども朝夕の軍に隙なくして罷り過ぎ候ひき
  3. `今またかやうに憂き目を見候ふも二度相見奉るべきにて候ひけり
  4. `とて泣き給ふ
  5. `互ひの心の内推し量られて哀れなり
  1. `小夜も漸う更けゆけば
  2. `このほどは大路の狼藉もぞ候ふらん
  3. `と申しければ
  4. `疾う疾う
  5. `とて返し奉らる
  1. `中将別れの袖を控へて
  2. `あふ事も露のいのちももろ共にこよひばかりやかぎりなるらん
  3. `女房涙を押さへて
  4. `かぎりとて立ちわかるれば露の身の君よりさきにきえぬべきかな
  5. `さて女房は内裏へ帰り参り給ふ
  1. `その後は守護の武士共許さねば力及ばず時々ただ御文ばかりぞ通ひける
  2. `この女房と申すは民部卿入道親範の娘眉目美しく心様優におはしけり
  3. `されば中将南都へ渡され斬られ給ひぬと聞えしかばやがて様を替へ濃墨染に窶れ果てかの後世菩提を弔ひ給ふぞ哀れなる