一六(四八)大臣流罪

原文

  1. `法印帰り参りてこの由奏聞せられければ法皇も道理至極して仰せ下さるる旨もなし
  1. `同じき十六日入道相国この日比思ひ立ち給へる事なれば太政大臣以下の公卿相雲客四十三人が官職を停めて追ひ籠め奉らる
  2. `中にも関白殿をば太宰帥に遷して鎮西へとぞ聞えし
  3. `かからん世にはとてもかうでもありなん
  4. `とて鳥羽の辺古川といふ所にて御出家あり
  5. `御歳三十五
  6. `礼儀よく知ろし召して曇りなき鏡にておはしつる人を
  7. `と世の惜しみ奉る事斜めならず
  1. `遠流の人の道にて出家したるをば約束国へは遣はさぬ事にてある間初めは日向国と定められたりしがこれは御出家の間備前国府の辺湯迫といふ所にぞ置き奉る
  2. `大臣流罪の例は左大臣蘇我赤兄右大臣豊成左大臣魚名右大臣菅原かけまくも忝く今の北野天神の御事なり
  3. `左大臣高明公右大臣藤原伊周公に至るまでその例既に六人
  4. `されども摂政関白流罪の例はこれ始めとぞ承る
  5. `故中殿の御子二位中将基通は入道の婿にておはしければ大臣関白に成し奉らる
  1. `去んぬる円融院の御宇天禄三年十一月一日一条摂政謙徳公失せ給ひしかば御弟堀川関白仲義公その時は未だ従二位中納言にておはしき
  2. `その御弟法興院大入道兼家公その時は未だ大納言右大将にてましましければ仲義公は御弟に加階越えられさせ給はりし
  3. `今また越え返し内大臣正二位して内覧の宣旨蒙らせ給ひたりしをこそ人皆
  4. `耳目を驚かしたる御昇進
  5. `とは申し合はれしか
  1. `これはそれにはなほ超過せり
  2. `非参議二位中将より大中納言を経ずして大臣関白になる事これ始め普賢寺殿の御事なり
  3. `上卿宰相大外記大夫史に至るまで皆あきれたる様にてぞ候はれける
  1. `太政大臣師長は司を停めて東の方へ流され給ふ
  2. `去んぬる保元には父悪左大臣殿の縁座によつて兄弟四人流罪せられ給ひにき
  3. `御兄右大将兼長御弟左中将隆長範長禅師三人は帰洛を待たずして配所にてつひに失せ給ひぬ
  4. `これは土佐の幡多にて九返りの春秋を送り迎へ長寛二年八月に召し返されて本位に復す
  1. `次の年正二位して仁安元年十月に前中納言より権大納言に上がり給ふ
  2. `折節大納言空かざりければ員の外にぞ加はられける
  3. `大納言六人になる事これ始め
  1. `また前中納言より権大納言に上がる事も後山階大臣躬守公宇治大納言隆国卿の外は未だ承り及ばず
  2. `管絃の道に達し才芸勝れておはしければ次第の昇進滞らず太政大臣まで極めさせ給ひてまたいかなる罪の報いにや重ねて流され給ふらん
  3. `保元の昔は南海土佐へ遷され治承の今はまた東関尾張国とかや
  4. `もとより罪なくして配所の月を見んといふ事をば心ある際の人の願ふ事なれば大臣敢へて事ともし給はず
  5. `かの唐太子賓客白楽天潯陽江の辺に休らひ給ひけんその古を思ひ遣り鳴海潟潮路遥かに遠見して常は朗月を望み浦風に嘯き琵琶を弾じ和歌を詠じて等閑がてらに月日を送り給ひけり
  1. `ある時当国第三宮熱田明神に参詣あつてその夜神明法楽の為に琵琶弾き朗詠し給へども所もとより無智の境なれば情を知れる者なし
  2. `村老村女漁人野叟頭を項垂れ耳を峙つといへども更に清濁を分かで呂律を知る事なし
  3. `されども胡巴琴を弾ぜしかば魚鱗躍り迸り虞公歌を発せしかば梁塵動き揺く
  4. `物の妙を極むる時には自然に感を催す理なれば諸人身の毛よだつて満座奇異の思ひをなす
  1. `漸う深更に及んで風香調の内には花芬馥の気を含み流泉の曲の間には月清明の光を争ふ
  2. `願はくは今生世俗文字の業狂言綺語の誤りを以て
  3. `といふ朗詠をして秘曲を弾きしかば神明感応に堪へずして宝殿大きに震動す
  4. `平家の悪行なかりせば今此瑞相をばいかでか拝むべき
  5. `とて大臣感涙をぞ流されける
  1. `按察使大納言資方卿子息右近衛少将兼讃岐守源資時二つの官を停めらる
  2. `参議皇太后宮権大夫兼右兵衛督藤原光能大蔵卿右京大夫兼伊予守高階康経蔵人左少弁兼中宮権大進藤原基親三官共に停めらる
  3. `中にも
  4. `按察使大納言資方卿子息右近衛少将孫の右少将雅方これ三人をば今日やがて都の内を追ひ出ださるべし
  5. `とて上卿には藤大納言実国博士判官中原範貞に仰せてその日やがて都の内を追ひ出ださる
  1. `大納言宣ひけるは
  2. `三界広しといへども五尺の身置き所なし
  3. `一生ほどなしといへども一日暮らし難し
  4. `とて夜中に九重の内を紛れ出でて八重立つ雲の外へぞ赴かれける
  5. `かの大江山やいくのの道にかかりつつ初めは丹波国村雲といふ所にぞ暫し休らひ給ひける
  6. `それよりつひには尋ね出だされて信濃国とぞ聞えし