一一(一七〇)渡天の僧穴に入る事

現代語訳

  1. `昔、唐にいた僧が、天竺に渡り、他に用があるでもなく、ただいろいろなものを知りたくて、物見遊山であちこちを見歩いていた
  2. `すると、ある山の斜面に大きな穴があった
  3. `牛がおり、この穴に入るのを見たら興味をそそられたので、牛の後について僧も入った
  4. `どこまでも行くと明るい所へ出た
  5. `見渡せば、別世界と思しく、見知らぬ美しい花が咲き乱れていた
  1. `牛がこの花を食った
  2. `そこで、試しにこの花を一房とって食ってみると、美味いこと
  3. `天の甘露もこうであろうか
  4. `と思われ、喜びにまかせてたらふく食べると、ただ肥えに肥え太ってしまった
  5. `わけがわからず、恐ろしくなって、先の穴の方へと帰って行ったが、はじめは容易く通れた穴も体が太ってしまったために狭く感じ、ほうほうの体で穴の口までは出たものの抜け出せず、どうにもこうにも堪えられない
  6. `前を通る人に
  7. `おい助けてくれ
  8. `と声をかけてみたが、誰の耳にも入らない
  9. `助ける人もなかった
  10. `人の目にはどう見えていたのか不思議である
  11. `日を経て死んだ
  12. `その後は石になり、穴の口に頭を差し出した格好になってしまった
  13. `玄奘三蔵が、天竺へ渡られたときの日記に、この由を記している