一二七河内守頼信平忠恒を攻むる事

現代語訳

  1. `昔、河内守・源頼信が上野守であった頃、坂東に平忠恒という武者がいた
  2. `命令を無視して従わない
  3. `征伐する
  4. `と大軍を催し、その者の住む地へと向かってみれば、湖の遥かに奥まった向こう岸に屋敷を造って住んでいた
  5. `この湖を迂回しようとすれば七・八日はかかる
  6. `まっすぐ渡ればその日のうちに攻め込めそうだが、忠恒が渡し舟をすべて取り隠してしまった
  7. `渡るすべはない
  8. `水際に立ち、湖畔に沿って回るしかない
  9. `と兵らが考えていたとき、上野守は
  10. `湖畔に沿って攻め寄せては日数がかかる
  11. `その間に逃げもし、あるいは、守りを固めもするだろう
  12. `今日中に攻め込めば、彼奴は不意を突かれて混乱するはずだ
  13. `だが舟はみな取り隠されている
  14. `どうしたものか
  15. `と兵らに問われるので、兵らが
  16. `渡る術がありません
  17. `浜を回って攻め込むべきかと
  18. `と言えば
  19. `しかし、この軍の中にはこの道を知る者がいるだろう
  20. `おれはこの度初めて坂東の地を見る
  21. `だが、我が家の伝えとして聞いていたことがある
  22. `この湖中には、堤のように幅一丈ほどのまっすぐな道があるという
  23. `深さは馬の太腹ほどらしい
  24. `この付近にその道はあるんだろう
  25. `しかし、この大勢の軍の中には知っている者がいるだろうう
  26. `あるならば先導せよ
  27. `おれは後に続いて渡る
  28. `と言い、馬を速めて駆け寄れば、知る者だろうか、四・五騎ほどが馬を湖に下ろしてひたすら渡り行くので、それに続き、五・六百騎ばかりの兵らも渡った
  1. `たしかに馬の太腹ほどの深さであった
  2. `多くの兵の中でたった三人だけがこの道を知っていた
  3. `残りの者らは全く知らなかった
  4. `聞いたこともない
  5. `それどころか、守殿は、この国に初めておいででありながら、この地に代々住む我らさえ聞いたこともないことを、こうしてご存知であるというのは本当に優れた武人なのだ
  6. `と皆ささやき、畏怖しつつ渡り行くと、忠恒は
  7. `湖畔を迂回して攻めてくるだろう
  8. `舟はみな取り隠してあるし、浅い道もおれしか知らない
  9. `すぐに攻めては来られまい
  10. `湖畔に沿って来られる間に算段もし、逃げもしよう
  11. `進攻は容易にはいかないはずだ
  12. `と思い、のんびり軍をそろえていたところに、そこへ屋敷の周辺にいた郎等が慌てて駆け込んできて
  13. `上野殿は、この湖中の浅道を伝い大軍を率いて既に到着されました
  14. `どうしましょう
  15. `と、わななき声で慌てて言えば、忠恒は、かねての手筈を変更し
  16. `我らはもはや攻められてしまう
  17. `ではこのようにするか
  18. `と言って、すぐさま名簿を書き、文挟みに挟んで差し上げ、小舟に郎等一人を乗せて持たせ、それを迎えさせれば、上野守は見て名簿を受け取り
  19. `こうして名簿に詫び状を添えて出してきたのは降参の証だ
  20. `ならば、強いて攻めるべきではなかろう
  21. `と、この文を取って、馬を引き返すと、兵らもみな帰って行った
  22. `それ以降、守殿はいっそう
  23. `殊に優れて、立派な方いらっしゃる
  24. `と言われるようになった