(一〇一)信濃国の聖の事

現代語訳

  1. `昔、信濃国に法師がいた
  2. `ある田舎で法師になったが、まだ受戒もせずにいたので
  3. `なんとか都へ上り、東大寺という所で受戒しよう
  4. `と思い、やりくりをして上り、受戒した
  5. `それから
  6. `もとの国へ帰ろう
  7. `と思ったが
  8. `意味もない
  9. `あの無仏世界のような所へは帰るまい
  10. `ここにいよう
  11. `という心境になり、東大寺の仏の御前にいて
  12. `どこかへ行ってのどかに住めるような所はあろうか
  13. `とあちこち見回せば、未申の方角に山がかすかに見えた
  14. `その辺りへ行って住もう
  15. `と思い、山の中で言葉にできないほど厳しい修行をしながら過ごすうち、思いがけず、小さな厨子仏を修行によって得た
  16. `毘沙門天であった
  1. `そこに小さな堂を建てて据え奉り、必死に修行をしつつ年月を送っていた頃、この山の麓に身分の低い大金持ちがいた
  2. `そこに聖の鉢は常々飛んで行き、物を入れては戻って来ていた
  3. `大きな蔵があり、そこを開けて物を取り出すときに、この鉢が飛んで行き、いつもの物乞いに来たところ
  4. `例の鉢がやって来た
  5. `気持ちの悪い強欲な鉢だ
  6. `と、取って蔵の隅に投げ置き、特に物も入れずにいると、鉢は待っていて、物を片づけ終え、鉢のことを忘れて物も入れず取り出しもせず、蔵の戸に錠を下ろして帰ろうとしたところ、ややあって、この蔵がなんとなくゆさゆさと揺れ始めた
  7. `なんだなんだ
  8. `と見て騒いでいると、揺れに揺れつつ、地面より一尺ほど浮き上がったので
  9. `これは何事か
  10. `と怪しみ騒いだ
  11. `そうだそうだ、入った鉢を忘れて取り出さなかったのだ
  12. `その仕業ではないか
  13. `と言っていると、鉢が蔵から抜け出し、鉢の上に蔵を乗せて、どんどん空の方へ一・二丈ほど昇っていった
  14. `そして、飛んで行けば、人々が見て声をあげ、あきれて騒ぎ合った
  1. `蔵の主もどうすることもできなかったので
  2. `この蔵の行き先を見よう
  3. `と、追いかけていった
  4. `周囲の人たちも皆走った
  5. `そして、見れば、どんどん飛んで、河内国の、この聖が修行をしている山の中へと飛び込み、聖の坊の傍らにどすんと落ちた
  6. `なんともあきれたものだ
  7. `と思いながらも、このまま放っておけないので、蔵の主は、聖のところへ行って
  8. `こんなとんでもないことがありました
  9. `この鉢がいつもやって来るので、物を入れてあげていたのですが、用を足す間に紛れてしまい、蔵に置いたのを忘れて取り出さずに鍵をかけたところ、この蔵がぐらぐら揺れたと思ったら、ここまで飛んで来て落ちたのです
  10. `蔵を返してください
  11. `と言えば
  12. `たしかに不思議なことだが、飛んで来たのだから、蔵は返せん
  13. `ここにはこのような蔵もないから、なにかと物を置くのによい
  14. `中の物はそっくり持っていってくれ
  15. `と言われたので、主が
  16. `すぐになんか運び出せるものですか
  17. `千石も積んであるんですよ
  18. `と言うと
  19. `そんなことなら、簡単なことだ
  20. `たしかに私が運んで渡そう
  21. `と、この鉢に一俵を入れて飛ばすと、雁などが続くように残りの俵も続いた
  1. `群雀などのように飛び続くのを見るに、あきれ果てるも尊くて、主が
  2. `しばしお待ちを
  3. `全部は運ばないで下さい
  4. `米二・三百石はここに残してお使い下さい
  5. `と言えば、聖は
  6. `とんでもない
  7. `それをここに置いたところでどうしようもない
  8. `と言うので
  9. `それなら、すぐお使いになる分だけ、十・二十石を差し上げます
  10. `と言ったが
  11. `それでも入用ではない
  12. `と、主の家にたしかに全部落とした
  1. `このように尊く修行をつつ過ごしていた折、醍醐天皇が重い病に罹り、様々な祈祷、修法、読経など八方手を尽くしたが、一向に快復なさらなかった
  2. `ある人が
  3. `河内の信貴という所に、長年修行を続け里へ出ることもしない聖がおります
  4. `その聖は、実に尊く、効験があり、鉢を飛ばし、そうしていながら、いろいろありがたいことなどもしています
  5. `その者を召して祈祷をさせればご快復なさるでしょう
  6. `と言うので
  7. `それならば
  8. `と、蔵人を使者として、呼びにやった
  1. `行って見ると、聖の様子は、実に尊く立派であった
  2. `云々の宣旨によって召す
  3. `急いで参上されたい
  4. `との由を伝えても、聖は
  5. `なぜ召すのか
  6. `と、まったく動こうともしないので
  7. `しかじかのようにお患いが重たいのです
  8. `祈祷をお願いします
  9. `と言うと
  10. `ならば、参上しなくても、ここで祈ればよかろう
  11. `と言う
  12. `それでは、もしご快復なさっても、いかにして聖の効験であると知ればよいかわかりません
  13. `と言うと
  14. `それが誰の効験かなどお知りにならなくても、ご快復になればよいのであろう
  15. `と言うので、蔵人は
  16. `そうではありますが、数多の御祈祷の中においても、それが貴僧の効験である知れた方がよいでしょう
  17. `と言うと
  18. `ならば、祈祷の際に剣の護法を参上させよう
  19. `もし、夢にでも幻にでも御覧になったら、そうであると承知なされ
  20. `剣を編みこんだ衣を纏う護法である
  21. `私は決して京へは参らぬ
  22. `と言ったので、勅使は帰り、事情を述べれば、三日目の昼、帝は、まどろみかけた夢うつつの中にきらきらと何かが見えたので
  23. `何であろうか
  24. `とご覧になるうち、あの聖の言った護法のように思われ、それより御心地は爽やかになり、いささかも心苦しいこともなく、ご快復になった
  1. `人々は喜んで、聖を尊がり、誉め合った
  2. `帝もこの上なく尊く思われ、人を遣わして
  3. `僧正か僧都になるか
  4. `それとも、寺に荘園など寄進するか
  5. `と仰せ遣わされた
  1. `聖は承り
  2. `僧都・僧正などなるつもりは毛頭ない
  3. `また、このような場所に荘園など寄進されると、別当など人も出てきたりして、いろいろ煩わしく、罪を作るようなことがあるかもしれぬ
  4. `ただこのままでいたい
  5. `と、話は立ち消えになった
  1. `さて、この聖には姉が一人いた
  2. `弟が受戒するべく京へ上ったが、沙汰がない
  3. `これほど長い年月姿を見せないのは、なにかあったのかしら
  4. `気になるから尋ねてみよう
  5. `と上京し、東大寺、山階寺のあたりを
  6. `命蓮小院という人はいませんか
  7. `と尋ねたが
  8. `知らない
  9. `という返事ばかりで
  10. `知っている
  11. `と言う人はなかった
  1. `尋ねあぐねて
  2. `どうしよう
  3. `弟の行方を聞いてから帰ろう
  4. `と思い、その夜、東大寺の大仏の前で
  5. `命蓮の居場所をお教えください
  6. `と一晩中祈れば、微睡んだ夢の中で、仏が
  7. `尋ねる僧の居場所だが、これより未申の方に山がある
  8. `その山の雲のたなびく所へ行って尋ねるがよい
  9. `と仰せになると見て目を覚ますと、夜が白み始めていた
  10. `ああ、早く夜が明けてほしい
  11. `と思いつつ見ているうちにほのぼのと夜が明けた
  12. `未申の方を見やると紫の雲がたなびいている
  13. `嬉しくて、そこを目指して行けば、たしかに堂などがあった
  1. `人の姿の見える所へ行き
  2. `命蓮小院はいますか
  3. `と言った
  4. `誰か
  5. `と出てきて見れば、信濃にいる我が姉であった
  6. `これは、どうして尋ねていらしたのですか
  7. `思いがけないことです
  8. `と言うと、あった出来事などを語った
  1. `それにしても、寒かったでしょう
  2. `これを着せてあげようと持って来たのです
  3. `と、取り出したものを見れば、ふくたいという、他とは異なり、太い糸を用い、綿を厚くし、きめ細かく頑丈に作った着物を持ってきたのだった
  4. `喜んで受け取り、着た
  5. `それまでは薄い絹の一重だけを着ていた
  6. `ひどく寒かったので、これを下に着ると、暖かくて心地がよかった
  7. `そしてまた長年修行した
  8. `この姉の尼君も、もとの国へは帰らず、留まって、そこで修行をした
  9. `そうして、長い年月、このふくたいのみを着て修行をしていたので、ぼろぼろに破れてしまったが、それでもずっと着ていた
  1. `鉢に乗ってきた蔵を
  2. `飛び蔵
  3. `と言った
  4. `その蔵には破れたふくたいなどが納められ、今でもある
  5. `その破れの端をほんの少し縁があって手に入れた人はお守りにした
  6. `その蔵も朽ち果ててしまったが、今でもある
  7. `その木の端を、少しでも手に入れた人はお守りにし、毘沙門天を作り奉って持つ人は必ず徳がついた
  8. `それゆえ、聞いた人は縁をたどってその蔵の木の端を買い取った
  1. `そして
  2. `信貴
  3. `といって、効験のある所として、今も明け暮れ参拝者が絶えない
  4. `この毘沙門天は命蓮聖が修行して出したものだそうである