(七七)実子に非ざる人実子の由たる事

現代語訳

  1. `これも昔の話、たしかにその人の子であるとも言われていない人がいた
  2. `世間の人はそのことを知っていて、おこがましく思っていた
  3. `その父と言われる人が死んでからというもの、その人のもとに長年仕えていた侍は妻を連れて田舎に下っていた
  4. `妻が死んだので、どうしようもなくて、京へ上ってきた
  5. `何事もできず、頼るべき人もなかったので
  6. `この子という人が確かな理由を主張して親の家に住んでいる
  7. `と聞き、この侍は参上した
  1. `故殿に長年お仕えしていた何某という者が参りまして
  2. `お目にかかりたがっております
  3. `と言うので、この子が
  4. `そういうことがあると聞いている
  5. `しばし待て
  6. `お会いくださるであろう
  7. `と言わせると、侍が
  8. `うまくいった
  9. `と思い、眠っていたところに側近の侍が現れ
  10. `御出居へいらしてください
  11. `と言うので、喜んで参上した
  12. `この取次ぎをした侍は
  13. `しばしお待ちください
  14. `と言って向こうへ行った
  15. `見回せば、御出居の様子は故殿がいらした頃と少しも変わっていなかった
  16. `御障子などは少し古くなったか
  17. `と見ていると、中の障子が開いたので、ふと見上げれば、この子と名乗る人が歩み出てきた
  18. `これを見た途端、この長年仕えてきた侍はしゃくりあげながらおいおい泣いた
  19. `袖を絞るのも間に合わぬほどであった
  1. `この主が
  2. `なぜそのように泣くのか
  3. `と思ってさっと座り
  4. `はて、なぜ泣くのか
  5. `と尋ねると
  6. `故殿がおいでであった頃と少しも違っておられないのが胸に応えまして
  7. `と言った
  8. `だからこそ、我も故殿に違わぬように思っているのに、世の人々は
  9. `そうではない
  10. `などと言う
  11. `あきれてしまう
  12. `と思って、この泣く侍に
  13. `おまえもずいぶんと老いたものだな
  14. `今はどうやって暮らしているのだ
  15. `私はまだ幼くて母のもとにいたから、故殿のことはあまりよく覚えておらぬ
  16. `おまえ、私を故殿と頼るがよい
  17. `何でも申せ
  18. `また、ひとえに頼りにもするぞ
  19. `どうも寒そうだな
  20. `この着物を着よ
  21. `と、ふっくらした綿の着物を一枚脱いで与え
  22. `もはや言うまでもない
  23. `ここへ参るがよい
  24. `と言った
  1. `この侍はうまくやっていた
  2. `昨日今日仕えた者がかく言うのでさえそうなのに
  3. `まして故殿に長年仕えた者がかく言うので、主人は微笑み
  4. `この男は長年苦労していたのだろう、気の毒なことだ
  5. `と後見役を召し出し
  6. `この者は故殿がかわいがっていた者だ
  7. `まずはこうして京へ旅立ってきた取り計らい、面倒を見てやれ
  8. `と言うと、卑下なる声で
  9. `
  10. `と言って立った
  11. `この侍は
  12. `虚言をしない
  13. `ということを仏に誓っていた
  1. `そこで、この主は自分を実の子ではないように言う人々を呼び
  2. `この侍に事の次第を話させ、それを聞かせよう
  3. `と、後見役を召し出し
  4. `明後日、ここへ人々が参られるというから、そのようにもてなしの用意をして粗相がないようにせよ
  5. `と言うと
  6. `
  7. `と言って、さまざま手配をした
  1. `主と近しい人たちが四、五人ほど集まってきた
  2. `主はいつもより身なりを整えて対面し、酒を度々酌み交わして後
  3. `我が親のもとに長年仕えていた者がありますので、御覧になりますか
  4. `と言うと、集まった人々は、心地よさそうに顔を赤らめ
  5. `呼ばれるがよろしい
  6. `故殿に似ているのもまた感動的でしょうな
  7. `と言うと
  8. `誰かいるか
  9. `誰それ参れ
  10. `と言うと、一人が立って呼んできた
  11. `見れば、鬢のはげた、目つきなどからしても虚言など言いそうにもない六十歳ほどの男で、光沢のある白い狩衣に練色の見事な衣を着ていた
  12. `これは賜った衣のようであった
  13. `召し出されて、凛とし、扇を笏にしてうずくまっていた
  1. `主が
  2. `これ、我が父存命の頃よりおまえは年月を過ごしてきたのだな
  3. `などと言うと
  4. `
  5. `と言う
  6. `似ているか
  7. `どうだ
  8. `と言うとこの侍は
  9. `そのことにございます
  10. `故殿には十三の歳よりお仕えして参りました
  11. `五十まで昼夜お離れることはございませんでした
  12. `故殿は
  13. `小冠者、小冠者
  14. `とお召しくださいました
  15. `ひどくお患いなさいましたときも、お足元へ宿直をお言いつけになりましたので、夜中明け方とおまるをお出しいたしました
  16. `その時は、つらく堪えがたい気持ちでおりましたが、お亡くなりになった後は
  17. `なぜそのように思ってしまったのか
  18. `と悔やんだものです
  19. `と言った
  20. `主は
  21. `では、先日おまえを呼び入れ、我が障子を開けて出たときに、見上げてほろほろと泣いたのはいったいどういうわけだ
  22. `と言った
  23. `そのとき、侍は
  24. `それも別のことではございません
  25. `田舎におりましたときに故殿がお亡くなりになったと承り
  26. `いま一度参りそのご様子を拝み奉りたく
  27. `存じ、恐れながら参上いたしました
  28. `ところが何の差し障りもなく御出居へお召し出しくださいましたのでたいへんかたじけなく存じ、御障子をお開けになりました折にふと見上げ申しましたところ、御烏帽子は真っ黒にて、まずさし出でさせておいでにございましたが、故殿もそのように出でさせてお見えになられた折にも御烏帽子は真っ黒に見えさせておいでにございましたことを思い出され申しまして思わず涙がこぼれ申しましたのでございます
  29. `と言うので、この集まった人たちはくすくす笑った
  1. `また、この主も顔色が変わり
  2. `ではまた聞くが、どこが故殿に似ているか
  3. `と言うと、この侍は
  4. `その他は、ほとんど似ておいでのところはございません
  5. `と言うと、人々はにやにや笑いながら一人二人と逃げ出して行った