(一)白峰

原文

  1. `あふ坂の関守にゆるされてより
  2. `秋こし山の黄葉見過しがたく
  3. `浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた
  4. `不尽の高嶺の煙
  5. `浮島が原
  6. `清見が関
  7. `大磯小いその浦々
  8. `むらさき匂ふ武蔵野の原
  9. `塩竈の和ぎたる朝げしき
  10. `象潟のが笘屋
  11. `佐野の舟梁
  12. `木曾の桟橋
  13. `心のとどまらぬかたぞなきに
  14. `猶西の国の歌枕見まほしとて
  15. `仁安三年の秋は
  16. `がちる難波を経て
  17. `須磨明石の浦ふく風を身にしめつも
  18. `行く行く讃岐の真尾坂の林といふに
  19. `しばらく
  20. `草枕はるけき旅路のにもあらで
  21. `観念修行の便せし庵なりけり
  1. `この里ちかき白峰といふ所にこそ
  2. `新院の陵ありと聞きて
  3. `拝みたてまつらばやと
  4. `十月はじめつかたかの山に登る
  5. `松柏は奥ふかく茂りあひて
  6. `青雲のたなびく日すら小雨そぼふるが如し
  7. `児が岳といふ険しきに聳ちて
  8. `千仭の谷底より雲霧おひのぼれば
  9. `まのあたりをもおぼつかなきここ地せらる
  10. `木立わづかに間たる所に
  11. `く積みたるが上に
  12. `石を三かさねに畳みなしたるが
  13. `荊蕀薜蘿にうづもれてうらがなしきを
  14. `これなん御墓にやと心もかきくらまされて
  15. `さらに夢現をもわきがたし
  16. `現にまのあたりに見奉りしは
  17. `紫宸清涼の御座
  18. `朝政きこしめさせ給ふを
  19. `百の官人はかくき君ぞとて
  20. `詔かしこみてつかへまつりし
  21. `近衛院にりましても
  22. `藐姑射の山のの林にしめさせたまふを
  23. `思ひきや麋鹿のかよふ跡のみ見えて
  24. `詣でつかふる人もなき深山のの下に神隠れ給はんとは
  25. `万乗の君にてわたらせ給ふさへ
  26. `宿世の業といふもののおそろしくもそひたてまつりて
  27. `罪をのがれさせ給はざりしよと
  28. `世のはかなきに思ひつづけて涙わき出るが如し
  29. `終夜供養したてまつらばやと
  30. `御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて
  31. `経文徐に誦しつつも
  32. `かつ歌よみてたてまつる
  33. `松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり
  34. `猶心怠らず供養す
  35. `露いかばかり袂にふかかりけん
  1. `日は入りしほどに
  2. `山深き夜のさま常ならね
  3. `石の牀木葉の衾いと寒く
  4. `み骨冷えて
  5. `物とはなしに凄じきここちせらる
  6. `月は出でしかど
  7. `茂きがもとは影をもらさねば
  8. `あやなき闇にうらぶれて眠るともなきに
  9. `まさしく円位円位とよぶ声す
  10. `眼をひらきてすかし見れば
  11. `異なる人の
  12. `背高く痩せ衰へたるが
  13. `顔のかたち着たる衣の衣紋も見えで
  14. `こなたにむかひて立てるを
  15. `西行もとより道心の法師なれば
  16. `おそろしともなくて
  17. `ここに来るは誰そととふ
  1. `かの人いふ
  2. `前によみつる言の葉の
  3. `かへりを聞えんとて見えつるなりとて
  4. `松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにける哉
  5. `喜しくもまうでつるよと聞ゆるに
  6. `新院の霊なることをしりて
  7. `地にぬかづき
  8. `涙を流していふ
  9. `さりとていかに迷はせ給ふや
  10. `濁世を厭離し給ひつることのうらやましく侍りてこそ
  11. `今夜の法施に随縁したてまつるを
  12. `現形し給ふありがたくも悲しき御こころにし侍り
  13. `ひたぶるに隔生即忘して
  14. `仏果円満の位に昇らせ給へと
  15. `心をつくして諫め奉る
  1. `新院呵々と笑はせ給ひ
  2. `汝しらずや近来の世のがなす事なり
  3. `生きてありし日より魔道に志をかたぶけて
  4. `平治の乱を興さしめ
  5. `死して猶朝家に祟をなす
  6. `見よ見よやがて天が下に大乱を生ぜしめんといふ
  7. `西行此詔に涙をとどめて
  8. `こは浅ましき御こころばへを承るものかな
  9. `君はもとよりも聡明の聞えましませば
  10. `王道のことわりはあきらめさせ給ふ
  11. `こころみにすべし
  12. `そも保元の御謀反は
  13. `の神の教へ給ふことわりにも違はじとて思し立たせ給ふか
  14. `又みづからの人慾より計策り給ふか
  15. `らせ給へと
  1. `其時院の御けしきかはらせ給ひ
  2. `汝聞け
  3. `帝位は人の極なり
  4. `若し人道上より乱す時は天の命に応じ
  5. `民の望に順うて是を伐つ
  6. `抑永治の昔
  7. `犯せる罪もなきに
  8. `父帝の命をかしこみて
  9. `三歳の体仁に代をりし心
  10. `人慾深きといふべからず
  11. `体仁早世ましては
  12. `朕が皇子の重仁こそ国しらすべきものをと
  13. `も人も思ひをりしに
  14. `美福門院が妬にさへられて
  15. `四の宮の雅仁に代をはれしは深き怨にあらずや
  16. `重仁国しらすべき才あり
  17. `雅仁何らのうつは物ぞ
  18. `人の徳をえらばずも
  19. `天が下の事を後宮にかたらひ給ふは
  20. `父帝の罪なりし
  21. `されど世にあらせ給ふほどは
  22. `孝信をまもりて
  23. `にも出さざりしを
  24. `れさせ給ひては
  25. `いつまでありなんと
  26. `武きこころざしを発せしなり
  27. `臣として君を伐つすら
  28. `天に応じ民の望にしたがへば
  29. `周八百年の創業となるものを
  30. `ましてしるべき位ある身にて
  31. `牝鶏のする代を取つて代らんに
  32. `道を失ふといふべからず
  33. `汝家を出でて仏に淫し
  34. `未来解脱の利慾を願ふ心より
  35. `人道をもて因果に引き入れ
  36. `尭舜の教を釈門に混じて朕に説くやと
  37. `御声あららかにらせ給ふ
  1. `西行いよよ恐るる色もなく座をすすみて
  2. `君が告らせ給ふ所は
  3. `人道のことわりをかりて慾塵をのがれ給はず
  4. `遠く震旦をいふまでもあらず
  5. `皇朝の昔誉田の天皇
  6. `兄の皇子大鷦鷯をおきて
  7. `の皇子莵道の王を日嗣の太子となし給ふ
  8. `天皇かみがくれ給ひては
  9. `兄弟相譲りて位に昇り給はず
  10. `三年をわたりても猶果つべくもあらぬを
  11. `莵道の王深く憂ひ給ひて
  12. `豈久しく生きて天が下を煩はしめんやとて
  13. `みづから宝算を断たせ給ふものから
  14. `罷事なくて兄の皇子御位に即かせ給ふ
  15. `是天業を重んじ孝悌をまもり
  16. `信をつくして人慾なし
  17. `尭舜の道といふなるべし
  18. `本朝に儒教を尊みて専王道の輔とするは
  19. `莵道の王
  20. `百済の王仁を召して学ばせ給ふをはじめなれば
  21. `兄弟の王の御心ぞ
  22. `やがて漢土の聖の御心ともいふべし
  23. `又周の創め
  24. `武王一たび怒りて天下の民を安くす
  25. `臣として君を弑すといふべからず
  26. `仁をみ義を賊む
  27. `一夫の紂を誅するなりといふ事
  28. `孟子といふ書にありと人の伝へに聞き侍る
  29. `されば漢土の書は経典史策詩文にいたるまで渡さざるはなきに
  30. `かの孟子の書ばかり未だ日本に来らず
  31. `此書を積みて来る船は
  32. `必しもあらき風にあひて沈むよしをいへり
  33. `それをいかなる故ぞととふに
  34. `我国は天照おほん神の開闢しろしめししより
  35. `日嗣の大王絶ゆる事なきを
  36. `かく口賢しき教を伝へなば
  37. `末の世に神孫を奪ふて罪なしといふも出づべしと
  38. `八百よろづの神の悪ませ給ふて
  39. `神風を起して船を覆し給ふと聞く
  40. `されば他国の聖の教も
  41. `ここの国土にふさはしからぬことすくなからず
  1. `且詩にもいはざるや
  2. `兄弟ぐともげよと
  3. `さるを骨肉の愛をわすれ給ひ
  4. `あまさへ一院崩御れ給ひて
  5. `の宮に肌膚も未だえさせ給はぬに
  6. `御旗なびかせ弓末ふり立てて
  7. `宝祚をあらそひ給ふは
  8. `不孝の罪これよりしきはあらじ
  9. `天下は神器なり
  10. `人の私をもて奪ふとも得べからぬことわりなるを
  11. `たとへ重仁即位は民の仰ぎ望む所なりとも
  12. `徳を布き和を施し給はで
  13. `道ならぬみわざをもて代を乱し給ふときは
  14. `きのふまで君を慕ひしも
  15. `けふは忽ち怨敵となりて本意をも遂げ給はで
  16. `いにしへよりなきを得給ひて
  17. `かかる鄙の国の土とならせ給ふなり
  18. `ただただ旧き讐をわすれ給ふ
  19. `浄土にかへらせ給はんこそ願はまほしき叡慮なれと
  20. `はばかることなくしける
  1. `長嘘をつかせ給ひ
  2. `今事を正して罪をとふ
  3. `ことわりなきにあらず
  4. `されどいかにせん
  5. `この島にられて
  6. `高遠が松山の家にめられ
  7. `日に三たびの御膳すすむるよりは
  8. `まゐりつかふる者もなし
  9. `とぶ雁の小衣の枕におとづるるを聞けば
  10. `都にや行らんとなつかしく
  11. `暁の千鳥の洲崎にさわぐも
  12. `心をくだく種となる
  13. `烏の頭は白くなるとも
  14. `都には還るべきもあらねば
  15. `定めて海畔の鬼とならんずらん
  16. `ひたすら後世のためにとて
  17. `五部の大乗経をうつしてけるが
  18. `貝鐘の音も聞えぬ荒磯にとどめんもかなし
  19. `せめては筆の跡ばかりをの中に入れさせ給へと
  20. `仁和寺の御室の許へ経にそへてよみておくりける
  21. `浜千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音をのみぞ鳴く
  22. `しかるに少納言信西がはからひとして
  23. `若し呪咀の心にやとしけるより
  24. `そがままにかへされしぞうらみなれ
  25. `いにしへより漢土ともに
  26. `国をあらそひて兄弟敵となりしは珍しからねど
  27. `罪深き事かなと思ふより
  28. `悪心懺悔の為にとて写しぬる御経なるを
  29. `いかにささふる者ありとも
  30. `親しきをるべきにもたがひて
  31. `筆の跡だもれ給はぬ叡慮こそ
  32. `今は旧しき讐なるかな
  1. `所詮此経を魔道に回向して
  2. `恨をはらさんと一すぢにおもひ定めて
  3. `指を破り血をもて願文をうつし
  4. `経とともに志戸の海に沈めてし後は
  5. `人にもえず深く閉ぢこもりて
  6. `ひとへに魔王となるべき大願をちかひしが
  7. `はた平治の乱ぞ出できぬる
  1. `まづ信頼が高き位を望む驕慢の心をさそふ
  2. `義朝をかたらはしむ
  3. `かの義朝こそ悪き敵なれ
  4. `父の為義をはじめ
  5. `同胞の武士は皆朕が為に命を捨てしに
  6. `他一人朕に弓を挽く
  7. `為朝が勇猛
  8. `為義忠政が軍配を見つるに
  9. `西南の風に焼討せられ
  10. `白川の宮を出でしより
  11. `如意が岳の険しきに足を破られ
  12. `或は山賤の椎柴をおほひて雨露を凌ぎ
  13. `終にはれて此島に謫られしまで
  14. `皆義朝がしき計策に困められしなり
  15. `これが報を虎狼の心に障化して
  16. `信頼が隠謀にかたらはせしかば
  17. `地祇に逆ふ罪
  18. `武にからぬ清盛に逐ひ討たる
  19. `且父の為義を弑せし報りて
  20. `家の子に謀れしは
  21. `天神の祟を蒙りしものよ
  1. `又少納言信西は
  2. `常に己を博士ぶりて
  3. `人を拒む心の直からぬ
  4. `これをさそふて信頼義朝が讐となせしかば
  5. `終に家をすてて宇治山の坑に竄れしを
  6. `はた探しられて六条河原に梟首らる
  7. `これ経をかへせし諛言の罪を治めしなり
  8. `それがあまり応保の夏は
  9. `美福門院が命を
  10. `長寛の春は忠通を祟りて
  11. `朕も其秋世をさりしかど
  12. `猶嗔火にして尽ざるままに
  13. `終に大魔王となりて
  14. `三百余類の巨魁となる
  1. `朕が眷属のなすところ
  2. `人のを見てはして禍とし
  3. `世の治るを見ては乱を発さしむ
  4. `只清盛が人果大にして
  5. `親族氏族ことごとく高き官位につらなり
  6. `おのがままなる国政を執り行ふといへども
  7. `重盛忠義をもて輔くる故いまだいたらず
  8. `汝見よ平氏も又久しからじ
  9. `雅仁朕につらかりし程は終に報ゆべきぞと
  10. `御声いやましにおそろしく聞えけり
  11. `西行いふ
  12. `君かくまで魔界の悪業につながれて
  13. `仏土に億万里を隔て給へば
  14. `ふたたびいはじとて
  15. `して向ひ居たりける
  1. `時に峰谷ゆすり動きて風叢林すが如く沙石を空に巻き上ぐる
  2. `見る見る一段の陰火君が膝の下より燃え上りて
  3. `山も谷も昼の如くあきらかなり
  4. `光の中につらつら御気色を見たてまつるに
  5. `朱をそそぎたる龍顔
  6. `荊の髪膝にかかるまで乱れ
  7. `白き眼を吊りあげ
  8. `熱きを苦しげにつがせ給ふ
  9. `御衣は柿色のいたうすすびたるに
  10. `手足の爪は獣の如く生ひのびて
  11. `さながら魔王のあさましくもおそろし
  12. `空にむかひて相模相模とばせ給ふ
  13. `あと答へて
  14. `鳶の如くの化鳥翔け来り
  15. `前に伏して詔をまつ
  1. `院かの化鳥にむかひ給ひ
  2. `何ぞ早く重盛が命をりて
  3. `雅仁清盛をくるしめざる
  4. `化鳥こたへていふ
  5. `上皇の幸福いまだ尽きず
  6. `重盛が忠信ちかづきがたし
  7. `今より支干一周を待たば
  8. `重盛が命数既に尽きなん
  9. `死せば一族の幸福此時に亡ぶべし
  10. `院手を拍つて怡ばせ給ひ
  11. `かの讐敵悉く此前の海に尽すべしと
  12. `御声谷峰に響きて凄じさいふべくもあらず
  13. `魔道の浅ましきありさまを見て
  14. `涙しのぶに堪へず
  15. `復び一首の歌に随縁の心をすすめたてまつる
  16. `よしや君昔の玉のとてもかからんのちは何にかはせん
  17. `刹利も須陀もかはらぬものをと
  18. `心あまりて高らかにひける
  19. `此ことばを聞しめして
  20. `感でさせ給ふやうなりしが
  21. `御面も和らぎ
  22. `陰火もややうすく消えゆくほどに
  23. `つひに龍体もかきけちたる如く見えずなれば
  24. `化鳥もいづちゆきけん跡もなく
  25. `十日あまりの月は峰にかくれて
  26. `のくれやみのあやなきに
  27. `夢路にやすらふが如し
  1. `ほどなくいなのめの明けゆく空に
  2. `朝鳥の音おもしろく鳴きわたれば
  3. `かさねて金剛経一巻を供養したてまつり
  4. `山をくだりてに帰り
  5. `閑に終夜のことどもを思ひ出づるに
  6. `平治の乱よりはじめて
  7. `人々の消息年月のたがひなければ
  8. `深く慎みて人にも語り出でず
  1. `其後十三年を経て治承三年の秋
  2. `平の重盛病に係りて世を逝りぬれば
  3. `平相国入道
  4. `君をうらみて鳥羽の離宮に籠めたてまつり
  5. `かさねて福原の宮に困めたてまつる
  6. `頼朝東風に競ひおこり
  7. `義仲北雪をはらふて出づるに及び
  8. `平氏の一門ことごとく西の海に漂ひ
  9. `遂に讃岐の海志戸八島にいたりて
  10. `武きつはものども多く鼇魚の腹に葬られ
  11. `赤間が関壇の浦にせまりて
  12. `幼主海に入らせたまへば
  13. `軍将たちものこりなく亡びしまで
  14. `露たがはざりしぞおそろしくあやしき話柄なりける
  15. `其後御廟は玉もて
  16. `丹青を彩りなして
  17. `稜威を崇めたてまつる
  18. `かの国にかよふ人は
  19. `必ず幣をささげてひまつるべき御神なりけらし