八二まぼろし

原文

  1. `これは田尻丸吉と云ふ人が自ら遭ひたることなり
  1. `少年の頃ある夜常居より立ちて便所に行かんとして茶の間に入りしに、座敷との境に人立てり
  2. `幽かに茫としてはあれど、衣類の縞も眼鼻もよく見え、髪をば垂れたり
  3. `恐ろしけれどそこへ手を延ばして探りしに、板戸にがたと突き当り、戸のさんにも触りたり
  4. `されど我手は見えずして、其上に影のやうに重なりて人の形あり
  5. `その顔の所へ手を遣れば又手の上に顔見ゆ
  6. `常居に帰りて人々に話し、行灯を持ち行きて見たれば、既に何者も在らざりき
  7. `此人は近代的の人にて怜悧なる人なり
  1. `また虚言を為す人にも非ず