六三 家の盛衰、家の盛衰 - マヨヒガ

原文

1. `小国の三浦某と云ふは村一の金持なり
2. `今より二三代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき

1. `この妻ある日門の前を流るる小さき川に沿ひて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり
2. `さてふと見れば立派なる黒き門の家あり
3. `訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり
4. `其庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一向に人は居らず
5. `終に玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀をあまた取出したり
6. `奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり
7. `されども終に人影は無ければ、
8. `もしは山男の家では無いか
9. `と急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり

1. `此事を人に語れども実と思ふ者も無かりしが、又或日我家のカド一に出でて物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり
2. `あまり美しければ拾ひ上げたれど、
3. `之を食器に用ゐたらば
4. `汚し
5. `と人に叱られんか
6. `と思ひ、ケセネギツ二の中に置きてケセネを量る器と為したり
7. `然るに此器にて量り始めてより、いつ迄経ちてもケセネ尽きず
8. `家の者も之を怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾ひ上げし由をば語りぬ
9. `此家はこれより幸運に向ひ、終に今の三浦家と成れり

1. `遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガと云ふ
2. `マヨヒガに行き当りたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり
3. `其人に授けんが為にかかる家をば見する也
4. `女が無欲にて何物をも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしと云へり