付記

奥書

原典
素龍清書本
親本
岩波文庫 おくのほそ道
発行日
第一刷発行
第十一刷発行

著作者及び校訂者の著作権

著者
松尾芭蕉
消滅
親本の校訂者
杉浦正一郎
消滅

凡例および現代語訳に付加した説明について

  • 題については、親本のものを流用し、独自に段を付けました。
  • 原文については、送り仮名はそのまま、旧漢字を常用漢字に、現在一般的に用いられている踊り字以外を漢字・仮名に改めました。
  • 誤記については、文法的な部分および単純な筆記の過ちと思しき部分は下の表一のように修正、それ以外は原文をそのままとし現代語訳にて表二のように修正しました。
  • 現代語訳には説明を付加しましたが、解釈の補助であって、芭蕉はじめ文中の人物の心情を代弁したものではありません。

表一 原文内の誤記と原文内での修正箇所

箇所原文の誤記修正後の原文内の表記
冒頭馬の口とら馬の口とら
冒頭笠の緒付か笠の緒付か
冒頭三里に灸するより三里に灸するより
旅立さまれる物からさまれる物から
旅立行道なすすまず行道なすすまず
草加加と云宿に加と云宿に
室の八島一一の旨の旨
日光一〇あらたあらた
日光一六墨染にさまをか墨染にさまをか
日光二一髪山の句有髪山の句有
日光二八申伝侍る也申伝侍る也
那須草刈のこ草刈のこ
那須うゐうゐ敷旅人うひうひ敷旅人
那須旅人の道ふみたが旅人の道ふみたが
那須さき者さき者
黒羽其弟桃翠其弟翠桃
黒羽桃翠宅に帰る翠桃宅に帰る
雲岩寺寺のおくに寺のおくに
雲岩寺寺に杖を曳ば寺に杖を曳ば
一〇殺生石・遊行柳此口付ののこ此口付ののこ
一〇殺生石・遊行柳一六折々にの給ひ折々にの給ひ
一二須賀川といふものといふもの
一三安積沼が宅を出てが宅を出て
一五佐藤庄司の旧跡人の教るにまかせて人の教るにまかせて
一五佐藤庄司の旧跡泪の石碑泪の石碑
一六飯塚行末をかか行末をかか
一七笠島今にありと教今にありと教
二〇壺の碑の菅有の菅有
二〇壺の碑の菅菰を調ての菅菰を調て
二〇壺の碑按察使鎮守将軍按察使鎮守将軍
二〇壺の碑東人之所東人之所
二一末の松山一四るりるり
二二塩釜和泉三郎和泉三郎
二二塩釜一一今に至りて今に至りて
二三松島一〇汐風に吹ためて汐風に吹ためて
二三松島一〇屈曲のづから屈曲のづから
二三松島一二大山みのなせるわざ大山みのなせるわざ
二四瑞巌寺寺に詣寺に詣
二四瑞巌寺仏土成就の大伽仏土成就の大伽
二五平泉一四衡等が旧跡衡等が旧跡
二六尿前の関一六案内せしのこ案内せしのこ
二六尿前の関一八くりまらせてくりまらせて
二九最上川一三舟あや舟あや
三〇羽黒本坊にをゐ本坊におい
三〇羽黒雪をからす南谷雪をからす南谷
三〇羽黒三九爰にかるがごとし爰にかるがごとし
三二象潟一五鳥海天をささ鳥海天をささ
三二象潟一六海北にかま海北にかま
三二象潟一九悲しみをくは悲しみをくは
三三越後路越中の国一ぶりの関越中の国市振の関
三四市振年老たるのこ年老たるのこ
三四市振のこの送りてのこの送りて
三六金沢一一らしき名らしき名
三七太田神社盛が甲錦盛が甲錦
三七太田神社盛討死の後盛討死の後
三七太田神社にみえたりにみえたり
三八那谷那智谷の二字那智谷の二字
三九山中有明に次と云有明に次と云
三九山中菊はたらぬ菊はたらぬ
四〇全昌寺大聖の城外大聖の城外
四〇全昌寺紙硯をかか紙硯をかか
四一汐越の松・天龍寺・永平寺岡天龍寺岡天龍寺
四一汐越の松・天龍寺・永平寺別にみて別にみて
四一汐越の松・天龍寺・永平寺一三千里を避て千里を避て
四一汐越の松・天龍寺・永平寺一三貴きゆ有とかや貴きゆ有とかや
四二福井そこそこと教そこそこと教
四二福井二四かしうからげてかしうからげて
四三敦賀一一泥渟をかかせて泥渟をかかせて
四四大垣通もこの港まで通もこの港まで
四四大垣遷宮がまん遷宮がまん
素龍書一〇いとかよげにていとかよげにて
素龍書一〇霜のきそうふぞ霜のきそうふぞ

表二 原文の誤記と現代語訳内での修正箇所

箇所原文の表記修正後の訳中の表記
日光空海大師開基の時勝道上人が開山した折
一二須賀川二一行基菩薩は生涯法然上人は生涯
一三安積沼檜皮の宿を離れて日和田宿があり
一七笠島笠島の郡に入れば名取の郡に入って
二五平泉二三三将の像をのこし三像を残し
二六尿前の関の里に泊まるの里に泊まる
三二象潟一五に鳥海に鳥海山
三二象潟一六西はむやむやの関は有耶無耶の関
三二象潟一六に堤を築てに堤を築いて
三二象潟一六にかまへて海は西に構えて
三七多太神社太田の神社に詣多太八幡神社に参詣した
四一汐越の松・天龍寺・永平寺西行蓮如
四二福井等栽と云古き隠士神戸洞哉という老いた隠遁者
四二福井二二等栽も共に送らんと洞哉も、一緒に送りましょう、と
四三敦賀二七等栽に筆をとらせて洞哉に筆をとらせて