一

現代語訳

1. `一　能の脚本を書くことはこの道の命である
2. `きわめた才覚の力はなくともただ技術次第でよい能にはなるものである
3. `大方の風体は
4. `問答条々 第二の序・破・急
5. `の段に記してある

1. `殊更、脇の申楽（猿楽）は、典拠が正しく冒頭の謡や言葉などから由緒はあれだとすぐに人々がわかるような来歴を書くようにせよ
2. `あまり繊細な風体を表現しきらずとも、大方の風合がすぐに理解できる程度のものを冒頭から花々といった感じで脇の申楽（猿楽）を書けばよい
3. `また、演目の番数が進んだら、なし得る限り言葉や風体を尽して詳細に書くこと
4. `例えば、名所旧跡に因んだ演目ならば、その場所に関わりある詩歌で言葉の耳慣れているものを能の山場に配すること
5. `仕手の言葉にも風情にも係らぬところには肝要な言葉を載せぬこと
6. `どのみち見物衆は見るも聴くも上手の演技以外は気に留めない
7. `ゆえにこそ、一座の棟梁の面白い言葉や振りが目に入り心に浮かべば見聞く人は忽ち感興を催すのである
8. `これがまず能を作る手立である

1. `ただやさしくてその理をすぐ理解できる詩歌の言葉を選ぶようにせよ
2. `やさしい言葉を振りに合わせれば、ふしぎと、自ずから人体も幽玄な雰囲気になるものである
3. `強々しい響きの言葉は振りにうまく合わない
4. `却って強々しい響きの言葉に耳慣れぬことが好都合な場合もある
5. `それは素材となる人体によって調和するようなときである
6. `漢土か、本朝か、その来歴に従い心得て使い分けるようにせよ
7. `ただ賤しく低俗な言葉や風体はまずい能になるものである

1. `よって、よい能の条件は、典拠が正しく、珍しい風体で、山場があり、風合が幽玄であることを第一とせよ
2. `風体は珍しからぬものの、諄くもなく、すんなりと理解でき、面白いところがあるものを第二とせよ
3. `これは大凡の目安である
4. `ただ能は、一風情でも、上手の手にかかり敷衍される手がかりさえあれば面白くなるものである
5. `演目の数が多く上演が日を重ねるときは、たといまずい能でも珍しく度々潤色を施せば面白く見えよう
6. `つまり、能は演ずる時分と演目の配置が鍵である
7. `まずい能とて捨てることはない
8. `仕手の心遣い次第である

1. `ただし、ここに留意すべき事がある
2. `絶対に演じてはならぬ能がある
3. `いかに物真似といえども、例えば、老尼や姥、老僧などの姿でむやみに狂乱したり怒ったりすることがあってはならない
4. `また、怒れる人体で幽玄の物真似をするのも同じである
5. `これを真の
6. `似非能
7. `狂騒
8. `という
9. `その心は風姿花伝 第二 物学条々の
10. `物狂
11. `の段で述べてある

1. `また、一切の事に相応がなければ成就はない
2. `よい素材の能を上手が演じ、且つよく出来たものを
3. `相応
4. `という
5. `なお
6. `よい能を上手が演ずるのだから出来ぬはずがない
7. `と皆人は思い慣れているが、ふしぎと出来ぬこともある
8. `これを目利きは見分けて仕手には落度がないことを知るが、大方の人は
9. `能もまずいし、仕手もそれほどではない
10. `と見てしまう
11. `そもそも、よい能を上手が演じてなぜうまく出来ぬのか
12. `と考えてみるが、もしや時分の陰陽と調和せぬのか、それとも花の公案のない故か、疑問はなお残る