一二(一三七)坂落

現代語訳

  1. `これを皮切りに、秩父、足利、三浦、鎌倉、野井与、横山、党では、猪俣、児玉、西党、都筑党、私市党の兵たちなど、源平が乱れ合い、入れ替わり立ち替わり、次々と名乗り、鬨の声をどっと上げた
  2. `駆け回る馬の音は雷のごとく、互いに射合う矢は降る雨のごとくであった
  3. `わめき叫ぶ声は山を響かせ、あるいは浅手を負って戦う者もあり
  4. `あるいは激しく戦い、痛手を負って肩に担がれて退く者もあり
  5. `あるいは組み合い差し違えて死ぬ者もあり
  6. `あるい取り押さえて首を斬り落とす者もあり、斬り落とされる者もあり
  7. `優劣は少しもわからなかった
  1. `しかし、源氏は正面の合戦ばかりでは勝てそうになく見えたが、七日の卯の刻、大将軍九郎御曹司義経殿とその勢三千余騎が鵯越に登り、人馬を休ませていらしたとき、その勢に驚いたのか、牡鹿二頭と雌鹿一頭が平家の城郭・一の谷へ飛び降りていった
  2. `平家方の兵たちがこれを見て
  3. `里近くに住む鹿でさえ我らに恐れて山深く逃げ込んでいるはずなのに、今の鹿の落ちてくる様子は何か怪しくないか
  4. `どう考えてもこれは上の山から敵が攻めてくる兆しだ
  5. `と大騒ぎをしていると、伊予国の住人・武智武者所清教が進み出て
  6. `たとえ何者であろうと、敵方から出て来た者を見逃すことはできない
  7. `と、牡鹿二頭を射留め、雌鹿は射ずに逃がした
  1. `越中前司・平盛俊殿はこれを見て
  2. `鹿を射るとは無益なことをする殿方だ
  3. `今の矢一筋で敵十人を防げただろうに
  4. `罪作りなことで矢を損するとは
  5. `と制した
  1. `その頃、大将軍九郎御曹司義経殿は、平家の城郭を遥かに見下ろしておられたが
  2. `馬を落としてみよう
  3. `と何頭か落とされた
  4. `途中で転んで落ちるのもあった
  5. `あるいは途中で脚を折って死ぬのもあった
  6. `しかしそんな中、鞍置き馬が三頭、無事に降り立ち、越中前司盛俊殿の館の上で身震いしながら立っていた
  7. `義経殿は
  8. `馬は乗り手うまく落とせばそれほど怪我はしないようだ
  9. `さあ、落とせ
  10. `おれを手本にしろ
  11. `と、まず三十騎ほどを先頭に駆けて落されると、三千余騎の兵たちも皆続いて落とした
  1. `小石の混じりの砂なので、流れるように駆け下りて、二町ほどさっと落として壇のあるところで止まった
  2. `そこから下を見下ろせば、苔むした大きな岩盤が、釣瓶下としのように、十四・五丈ほど下がっている
  3. `そこから先へはとても進めそうになく、また引き返しようもなかったので、兵たちは
  4. `もはやこれまで
  5. `と言って、落胆していると、三浦の佐原十郎義連が進み出て
  6. `我らの土地では、鳥が一羽を追うにも朝夕このようなところを駆け回っています
  7. `ここは三浦の方の馬場と何も変わらない
  8. `と真っ先に駆けて落とすと、大勢が皆続いて落とした
  1. `後から続いて落としてくる者の鎧の鼻は先に落ちていく者の鎧兜に触れるほどであった
  2. `あまりの恐ろしさに目を閉じて落とす者もいた
  3. `かけ声も静かに、馬を励まして落とした
  4. `とても人間業とは思えず、まるで鬼神の仕業のように見えた
  5. `落とし終わらないうちに、鬨の声をどっと上げた
  6. `三千余騎の声であったが、山彦が答えて十万余騎ほどに聞こえた
  1. `村上判官代康国の手勢から火を放ち、平家の館や仮屋をすべて焼き払った
  2. `折しも風は激しく、黒煙が押し寄せると、平家の兵たちは、助かるかもしれないと前の海に多く走り込んだ
  3. `渚に助け船はたくさんあったが、船一艘に甲冑を着た者が四五百人・千人と乗り込もうとするからたまらない
  4. `渚から三町ほど漕ぎ出すと、目の前で大船三艘が沈んだ
  5. `その後は、位の高い武人は乗せても身分の低い者どもは乗せてはならないと、太刀や長刀で薙がせた
  6. `こんな目に遭うとは知りながら、敵に向かっては死なず、乗せまいとする船にしがみついて、臂を斬られ肘を打ち落とされて、一の谷の波打ち際に、真っ赤に染まって重なっていった
  1. `さて、軍正面の生田森にも浜の方でも武蔵・相模の若武者たちが、わき目も振らず、命も惜しまず、ここを最後とばかりに攻め戦っていた
  2. `教経殿はたびたびの合戦にただ一度も不覚を取ったことがなかったが、今回は何を思われたか、薄墨という馬に乗って、西を目指して落ち延びられた
  3. `播磨国の高砂から舟に乗られて讃岐国の屋島へ渡られた