一〇(九一)祇園女御

現代語訳

  1. `また古老はこう言った
  2. `清盛公はただ者にあらず、本当は白河上皇の皇子である
  1. `去る永久の頃、祇園女御という幸運な人がいらした
  2. `その女房の住まいは東山の麓、祇園のあたりであった
  3. `白河上皇はいつも通っておられた
  1. `ある日、殿上人一・二人と北面武士をわずか連れられ、お忍びでお出かけになったことがあった日のこと、頃は五月二十日余りの宵の口で、五月雨が闇を深め、あらゆるものが物憂く感じられるようなとき、祇園女御の宿所ちかくあった御堂の傍らから光るものが出てきた
  2. `頭は銀針を磨き立てたようにきらきらとしていて、左右の手らしきものを振り上げたのを見ると、片手には槌のような物を持ち、片手には光る物をもっていた
  3. `これは本物の鬼だと思った
  4. `手に持っている物は噂に聞く打出の小槌だろう
  5. `どうしよう
  6. `白河上皇もお供の者たちもひどく恐れられた
  1. `そのとき、北面の下級武士としてお供していた平忠盛殿を召し
  2. `あの者を射るか斬るかして殺してくれ
  3. `と命じられたので、かしこまり承ると向かっていった
  1. `忠盛は内心
  2. `こいつはそんな猛々しいやつじゃない
  3. `おそらく狐か狸のたぐいだろう
  4. `これを射たり斬ったりして仕留めるのもどうかと思う
  5. `同じことなら生け捕りにしてやろう
  6. `と思って向かっていった
  7. `少しするとぱっと光り、また少しするとさっと光り、二・三度光ったところで、忠盛は駆け寄って組みついた
  1. `組まれて
  2. `なんだなんだ
  3. `と騒ぐ
  4. `変化の者でもなんでもない
  5. `ただの人であった
  6. `そのとき皆が手に手に火を点して、見てみると、六十歳くらいの法師であった
  7. `実は御堂の雑用係の法師で、仏様に灯を供えるため、片手には平瓶というものに油を入れて持ち、もう片手には土器に火を入れて持っていただけであった
  1. `雨はしきりに降っている
  2. `濡れまいと頭に小麦の藁を結んで被っていたが、小麦の藁が土器の火に輝いて銀針のように見えていた
  3. `事の次第がひとつひとつ明らかになった
  4. `これを射たり斬ったりして殺していたら、どれほど残念に思っただろう
  5. `忠盛の行動は実に思慮深かった
  6. `弓矢取りは優しいものだな
  7. `と、あれほど寵愛されていたという祇園女御を忠盛に下された
  1. `この女御は、白河上皇の御子を宿しておられた
  2. `女御の産んだ子が、女子ならば朕の子にする
  3. `男子ならば忠盛が引き取り、武人に育てよ
  4. `と仰せになった
  5. `そして男子を出産した
  1. `忠盛は特に公表していなかったが、内々に育てていた
  2. `このことをなんとか奏聞しなければ
  3. `と思われながらも、よい機会がなかったが、そんなあるとき、白河上皇が熊野へ御幸した
  4. `紀伊国糸鹿坂というところに御輿を止めさせ、しばらく憩われた
  1. `そのとき忠盛が、薮にたくさん生っていたむかごを袖に盛り入れて、御前へ参ると、かしこまって
  2. `いもの子は這うほどまでになりました
  3. `と言われると、上皇はすぐにお気づきになって
  4. `ただもり取って養いにせよ
  5. `とお付けになった
  6. `そして我が子として育てられた
  1. `この若君はあまりに夜泣きなさるのを、上皇がお聞きになり、一首の歌を詠んでお与えになった
  2. `夜泣きをしても、ただもり立てよ末の代に、清く盛ることもあるから
  3. `それで
  4. `清盛
  5. `と名乗られたのである
  1. `十二歳のとき兵衛佐となり、十八歳で四位となって
  2. `四位兵衛佐
  3. `と称したのを、いきさつを知らない人が
  4. `清華家の人ならまだしも
  5. `といぶかしむと、お聞きになった鳥羽上皇は
  6. `清盛の華族は、他人に劣らない
  7. `と仰せになった
  1. `昔も、身ごもった女御を、天智天皇が大織官・藤原鎌足に下され
  2. `女御の産んだ子が女子ならば、朕の子にする
  3. `男子ならば、そちの子にせよ
  4. `と仰せられ、やがて男子を産んだ
  5. `多武峰の開祖・定恵和尚がその人である
  1. `上代にもこのような例があったから、末代においても、清盛公は本当に白河上皇の皇子であり、あれほど困難な天下の大事業や遷都なども思い立たれたのだろう