一一(六二)橋合戦

現代語訳

  1. `以仁王は三井寺と宇治の間で、六度落馬された
  2. `これは昨夜お休みにならなかったためだと、宇治橋の橋板三間分を取り外し、平等院に運び込み、しばし休息をされた
  1. `六波羅では
  2. `以仁王は奈良へ逃れようとなさっている
  3. `追いかけてお討ちせよ
  4. `と、大将軍には、左兵衛督・平知盛、頭中将・平重衡、薩摩守・平忠教、侍大将には、上総守・伊藤忠清、その子・上総太郎判官忠綱、飛騨守・伊藤景家、その子・飛騨太郎判官景高、判官・高橋長綱、判官・河内秀国、武蔵三郎左衛門尉・平有国、越中次郎兵衛尉・平盛嗣、上総五郎兵衛・伊藤忠光、悪七兵衛・伊藤景清を筆頭とした総勢二万八千余騎が、木幡山を越え、宇治橋のたもとに集結した
  5. `敵は平等院にいると確認すると、鬨の声を三度上げた
  6. `以仁王の味方も同じく鬨の声を合わせた
  7. `先陣が
  8. `橋板が外してあるぞ、気をつけろ
  9. `と叫んだが、後陣はこれを聞きとれなかった
  10. `我先にと進むほどに、先陣の二百余騎は川に落ちて溺れ死んだ
  1. `そして、橋の両方のたもとに集まって矢合わせをした
  2. `以仁王の味方から大矢俊長、五智院但馬、渡辺省、授、続源太が射かける矢は、盾も防ぎきれず、鎧をも貫いた
  3. `源三位入道頼政殿は、長絹の鎧直垂に品皮威の鎧を着けていた
  4. `今日が最後と思っておられてか、あえて甲冑を着けておられない
  5. `嫡子・伊豆守仲綱殿は、赤地の錦の直垂に黒糸威の鎧を着けていた
  6. `弓を強く引くために、彼も甲冑を着けなかった
  1. `ここで、五智院但馬が、大長刀の鞘を外して、ただ一人橋の上に進み出た
  2. `平家の人々はこれを見て
  3. `射取れ、射取れ
  4. `と立て続けに矢をつがえて射かけたが、但馬は少しも騒がず、上を飛ぶ矢はかいくぐり、下を飛ぶ矢は飛び越えて、向かってくる矢は長刀で斬り落とした
  5. `敵も味方も目を見張った
  6. `そのことがあってから、矢切の但馬と呼ばれるようになった
  1. `また、堂衆の一人・筒井の浄妙明秀は、褐の直垂に黒革威の鎧を着て、五枚兜の緒を締め、黒漆の太刀を佩き、二十四本差した黒幌の矢を背負い、塗籠籐の弓に好みの白柄の大長刀を添え持って、これもただ一人橋の上に進み出た
  2. `大声を張り上げて
  3. `遠くにいる者はよく聞け
  4. `近くにいる者はとくと見よ
  5. `三井寺に紛れもない、一人当千の兵・堂衆の筒井浄妙明秀とはおれのことだ
  6. `我こそは思う者はかかってこい、相手になってやる
  7. `と、二十四筋差した矢を雨霰と射かけた
  8. `たちどころ敵十二人を射殺し、十一人を負傷させ、箙に一筋が残っていた
  9. `そこで弓をからりと投げ捨てると、箙も解いて捨てた
  10. `毛皮の沓を脱いで裸足になり、橋桁の上をすたすたと走った
  11. `並みの人では恐れて渡れないが、浄妙房にとっては一条・二条の大路を走るようなものであった
  1. `長刀で向かってくる敵五人を薙ぎ倒し、六人めの敵に立ち向かったとき、長刀が中ほどから折れたので捨ててしまった
  2. `そこで太刀を抜き、大勢の敵に立ち向かうと、蜘蛛手、角縄、十文字、蜻蜒返り、水車にと、八方に隙間もなく斬りまくった
  3. `向かって来る敵を八人斬り伏せ、九人目の敵と斬り結ぶとき、太刀を兜の鉢に強く当てすぎて、目貫の元からぼっきり折れて、くいっと抜け、川へざぶんと落ちてしまった
  4. `残るは腰刀のみ、死にもの狂いで戦った
  1. `ここに乗円房阿闍梨・慶秀が召し使う一来法師という勇猛な者がいて、浄妙房の後に続いて戦っていたが、橋桁は狭くてすり抜けることもできない
  2. `浄妙房の兜の錣に手を置いて
  3. `失礼します、浄妙房
  4. `と、肩をつんと飛び越えて戦った
  5. `一来法師は討ち死にした
  1. `浄妙房はほうほうのていで帰り、平等院の門前にある芝の上に武具を脱ぎ捨て、鎧に刺さった矢を数えれば六十三筋、裏まで突き抜けた矢が五筋あった
  2. `しかし深手ではなかったので、ところどころ灸を据え、頭を布でくるんで、浄衣を着、弓を切り折って杖につき、平足駄を履き、題目を唱えて奈良の方と向かった
  3. `その後、浄妙房が渡ったのを手本として、三井寺の大衆や頼政殿の一味・渡辺党が、我先にと駆け続き、橋桁の上を渡っていった
  4. `中には敵の首や武具を奪って帰る者もあり、痛手を負って腹を切り、川へ飛び込む者もあった
  5. `橋の上の合戦は、火が出るかと思うほどに激しいものだった
  1. `平家方の侍大将・上総守忠清が大将軍の御前に参り
  2. `あれをご覧ください
  3. `橋の上の合戦は激しいものです
  4. `今は川を渡って攻め込む手筈ですが、ちょうど五月雨で水位が上がっております
  5. `渡せば人馬が多く失われるでしょう
  6. `淀、一口へ向かうべきでしょうか
  7. `それとも河内路へ迂回するべきでしょうか
  8. `いかがしましょう
  9. `と言うと、下野国の住人・足利又太郎忠綱が進み出て
  10. `淀、一口、河内路へは、天竺、震旦の武士を呼んで向かわせるおつもりですか
  11. `それも我らが承って向かうのです
  12. `目前の敵を討たずに以仁王を奈良へお入れすることにでもなれば、吉野や十津川の勢が馳せ集まって、いよいよたいへんなことになるでしょう
  13. `武蔵と上野の境に利根川という大河があるのですが、秩父と足利の仲が悪くて合戦が絶えず、前面の足利が長井の渡しを、背面の秩父が古河・杉の渡しから寄せようとし、足利に頼まれた上野国の住人・新田入道義重が古河・杉の渡しから寄せるのに用意した舟を秩父にみな破壊されたとき
  14. `今ここを渡らなければ長く武人の恥となろう
  15. `水に溺れて死ぬなら死ね
  16. `さあ渡るぞ
  17. `と、馬筏を作って渡ったので、渡河することができました
  18. `坂東武者には、川を挟んだ合戦で、敵を目前にしながら淵だの瀬だのとぐずぐず言う者はおりません
  19. `この川の深さも速さも利根川とさして変わりはありません
  20. `続け、殿方
  21. `と真っ先に馬を乗り入れた
  22. `続く人々は、大胡、大室、深須、山上、那波太郎、佐貫広綱、四郎大夫、小野寺前司太郎、辺屋子四郎、郎等には、桐生六郎、宇夫方次郎、田中宗太をはじめとして三百余騎が続いた
  1. `忠綱は大声を張り上げて
  2. `弱い馬は下流から渡せ
  3. `強い馬を上流から渡せ
  4. `馬の脚が着く間は手綱を緩めて歩かせよ
  5. `跳ねたら手綱を操って泳がせよ
  6. `溺れかけた者は弓の筈につかまらせよ
  7. `手に手を取って、肩を並べて渡せ
  8. `馬の頭が沈んだら引き上げよ
  9. `引きすぎてひっくり返るな
  10. `鞍壺にきちんと乗って、鐙を強く踏め
  11. `水に浸かったら、馬の尻の上に乗れ
  12. `馬には優しく、水には激しく向かえ
  13. `川の中で弓は引くな
  14. `敵が射かけても相手にするな
  15. `常に兜の錣を傾けよ
  16. `傾けすぎて兜のてっぺんを射られるな
  17. `流れに垂直になって流されるな
  18. `水に逆らわず、渡せ渡せ
  19. `と指図して、三百余騎は一騎も流されずに対岸へざっと上陸した