一一(一三六)二度駆

原文

  1. `さるほどに成田五郎も出で来たる
  2. `土肥次郎実平七千余騎色々の旗差し上げ喚き叫んで攻め戦ふ
  3. `大手生田森にも源氏五万余騎で固めたりけるが勢の中に武蔵国の住人河原太郎河原次郎とて兄弟あり
  4. `河原太郎弟次郎を呼うで云ひけるは
  5. `大名は我と手を下ろさねども家人の高名を以て名誉す
  6. `我等は自ら手を下ろさでは叶ひ難し
  7. `敵を前に置きながら矢一つだに射ずして待居ればあまりに心許なきに高直は城の内へ紛れ入りて一矢射んと思ふなり
  8. `汝は残り留まつて後の証人に立て
  9. `と云ひければ弟の次郎涙をはらはらと流いて
  10. `これは口惜しき事を宣ふものかな
  11. `ただ兄弟二人ある者が兄を討たせて弟が跡に残り留つたれば幾ほどの栄花をか保つべき
  12. `所々で討たれんより一所でこそ討死をもせめ
  13. `とて下人共呼び寄せ妻子の許へ最後の有様云ひ遣はし馬には乗らで芥下を履き弓杖を突いて生田森の逆茂木を上り越え城の内へぞ入つたりける
  1. `星明かりに鎧の毛も定かならず
  2. `河原太郎大音声を揚げて
  3. `武蔵国の住人河原太郎私高直同じき次郎盛直生田森の先陣ぞや
  4. `とぞ名乗つたる
  1. `城の内にはこれを聞いて
  2. `あつぱれ東国の武士ほど恐ろしかりける者はなし
  3. `この大勢の中へただ兄弟二人駆け入つたらば何ほどの事をかし出づべき
  4. `ただ置いて愛せよや
  5. `とて討たんといふ者こそなかりけれ
  1. `河原兄弟究竟の弓の上手なりければ差し詰め引き詰め散々に射る
  2. `今はこの者愛し憎し討てや
  3. `と云ふほどこそありけれ西国に聞えたる強弓精兵備中国の住人真名辺四郎真名辺五郎とて兄弟あり
  4. `兄の四郎は一谷に置かれたり
  5. `五郎は生田森に在りけるがこれを見てよつ引いてひやうと放つ
  6. `河原太郎が鎧の胸板を後へつと射抜かれて弓杖にすがり竦む処に弟次郎走り寄り兄を肩に引き懸けて生田森の逆茂木を上り越えんとする処を真名辺が二の矢に弟次郎が鎧の草摺の外れを射させて同じ枕に臥しにけり
  7. `真名辺が下人落ち合はせて河原兄弟が首を取る
  1. `大将軍新中納言知盛今日の御見参に入れたりければ
  2. `あつぱれ剛の者や
  3. `これらをこそ一人当千の兵とも云ふべけれ
  4. `あつたら者共が命を助けて見で
  5. `とぞ宣ひける
  1. `その後河原が下人走り散らして
  2. `河原殿兄弟只今城の内へ真先駆けて討たれさせ給ひぬるよ
  3. `と呼ばはつたりければ梶原平三これを聞きて
  4. `これは私の党の不覚でこそ河原兄弟をば討たせたれ
  5. `今は時よくなりぬるぞよや
  6. `とて鬨をどつとぞ作りける
  7. `これを聞いて五万余騎も同じう鬨の声をぞ合はせたる
  1. `梶原五百余騎ありけるが足軽共に逆茂木を取り除けさせて喚いて駆く
  2. `次男平次あまりに先を駆けうと進む間父平三使者を立てて
  3. `後陣の勢の続かざらんに先駆けたらんずる者には勧賞あるまじき由大将軍よりの仰せぞ
  4. `と云ひ送つたりければ平次暫く控へて
  5. `武士の取りつたへたるあづさ弓ひいては人のかへすものかは
  6. `と申させ給へ
  7. `とて喚いて駆く
  8. `梶原これを見て
  9. `平次討たすな者共
  10. `景高討たすな続けや
  11. `とて父の平三兄の源太同じき三郎続いたり
  1. `梶原五百余騎の大勢の中へ駆け入り縦様横様蜘蛛手十文字に駆け破つてさつと引いて出でたれば嫡子の源太は見えざりけり
  2. `梶原郎等共に
  3. `源太はいかに
  4. `と問ひければ
  5. `あまりに深入りして討たれさせ給ひて候ふやらん
  6. `遥かに見えさせ給ひ候はず
  7. `と申しければ梶原涙をはらはらと流いて
  8. `軍の先を駆けうと思ふも子共が為源太討たせて景時命生きても何かはせんなれば
  9. `返せや
  10. `とてまた取つて返す
  1. `その後梶原鐙踏ん張り立ち上がり大音声を揚げて
  2. `昔八幡殿の後三年の御戦に出羽国千福金沢城を攻め給ひし時生年十六歳と名乗つて真先駆け弓手の眼を鉢付の板に射付けられながらその矢を抜かで当の矢を射敵射落し勧賞蒙つて名を後代に上げたりし鎌倉権五郎景正が末葉梶原平三景時一人当千の兵ぞや
  3. `我と思はん人々は寄り合へや見参せん
  4. `とて喚いて駆く
  1. `大将軍新中納言
  2. `只今名乗るは東国に聞えたる兵ぞや
  3. `余すな洩らすな討ち取れや
  4. `とて梶原を中に取り籠めて我討らんとぞ進みける
  5. `梶原まづ我が身の上をば知らずして源太は何処に在るやらんとて駆け破り駆け廻り尋ぬるほどに案の如く源太は馬をも射させ徒歩立ちになり甲をも打ち落され大童に戦ひ成つて二丈ばかりありける岸を後に当て郎等二人左右に立て打物脱いで敵五人が中に取り籠められて面も振らず命も惜しまず此処を最後と攻め戦ふ
  1. `梶原これを見て
  2. `源太は未だ討たれざりけり
  3. `と嬉しう思ひ急ぎ馬より飛んで下り
  4. `いかに源太景時ここにあり同じう死ぬるとも敵に後ろを見すな
  5. `とて父子して五人の敵を三人討ち取り二人に手負はせて
  6. `弓矢取は駆くるも引くも折にこそよれ
  7. `いざうれ源太
  8. `とて掻い具してぞ出でたりける
  9. `梶原が二度の駆とはこれなり