(一二八)河原合戦

原文

  1. `軍敗れにければ鎌倉殿へ飛脚を以て鎌倉殿へ合戦の次第を詳しう記いて申されけり
  2. `鎌倉殿まづ御使に
  3. `佐々木はいかに
  4. `と御尋ねありければ
  5. `宇治川の真先候ふ
  6. `と申す
  7. `日記を開いて見給へば
  8. `宇治川の先陣佐々木四郎高綱二陣梶原源太景季
  9. `とこそ書かれたれ
  1. `宇治勢田敗れぬと聞えしかば木曾は最後の暇申さんとて院御所六条殿へ馳せ参る
  2. `御所には法皇を始め参らせて
  3. `世の失せ果て
  4. `とて手を握り立てぬ願もましまさず
  1. `木曾門前まで参りたりしかどもさして奏すべき旨もなくして取つて返す
  2. `六条高倉なる所に初めて見初めたる女房のありければ其処にうち寄つて最後の名残惜しまんとて頓に出でもやらざりけり
  1. `ここに今参りしたりける越後中太家光といふ者あり
  2. `御敵既に河原まで攻め入つて候ふに何とてかやうにうち解け渡らせ給ひ候ふぞ
  3. `只今犬死をせさせ給ひ候ひなんず
  4. `疾う疾う御出で候へ
  5. `と申しけれどもなほ出でもやらざりければ
  6. `さ候はば家光はまづ先立ち参らせて死出の山にてこそ待ち参らせ候はめ
  7. `とて腹掻き切つてぞ死ににける
  1. `木曾
  2. `これは我を進むる自害にこそ
  3. `とてやがてうち立ち給ひけり
  4. `ここに上野国の住人那波太郎広純を先としてその勢百騎ばかりには過ぎざりけり
  5. `六条河原にうち出でて見れば東国の勢と思しくてまづ三十騎ばかり出で来たり
  6. `その中より武者二騎進んだり
  7. `一騎は塩屋五郎維広一騎は勅使河原五三郎有直なり
  1. `塩屋が申しけるは
  2. `後陣の勢をや待つべき
  3. `また勅使河原が申しけるは
  4. `一陣敗れぬれば残党全からずただ駆けよ
  5. `とて喚いて駆く
  1. `木曾は今日を限りと戦へば東国の大勢木曾を中に取り籠めて
  2. `我討ち取らん
  3. `とぞ進みける
  1. `大将軍九郎御曹司義経
  2. `軍をば軍兵共にせさせ我が身は院御所の覚束なきに守護し奉らん
  3. `とて先直甲五六騎院御所六条殿へ馳せ参る
  1. `御所には大膳大夫成忠御所の東の築垣の上に登りて戦慄く戦慄く見渡せば武士五六騎仰甲に戦ひなつて春風に射向けの袖吹き靡かさせ白旗さつと差し上げ黒煙蹴立てて馳せ参る
  2. `成忠
  3. `あなあさまし木曾がまた参つて候ふ
  4. `と申しければ君も臣も大きに騒がせおはします
  5. `成忠重ねて奏聞しけるは
  6. `今日初めて都へ入る東国の武士と覚え候ふ
  7. `いかさまにも皆笠標が変はつて候ふ
  8. `とも申し果てねば大将軍九郎御曹司義経門前にて馬より下り門を叩かせ大音声を揚げて
  9. `鎌倉の前兵衛佐頼朝が舎弟九郎義経こそこの御所守護の為に馳せ参つて候へ
  10. `開けて入れさせ給へ
  11. `と申されけたりれば成忠あまりの嬉しさに急ぎ築垣の上より躍り下るるとて腰を衝き損じたりけれども痛さは嬉しさに紛れて覚えず這ふ這ふ御所へ参つてこの由奏聞したりければ法皇大きに御感あつて門を開けさせてぞ入れられける
  12. `義経その日は赤地錦の直垂に紫裾濃の鎧着て鍬形打つたる甲の緒を締め金作の太刀を帯き二十四差いたる切斑の矢負ひ滋籐の弓の鳥打の本を紙を広さ一寸ばかりに切つて左巻にぞ巻きたりける
  13. `これぞ今日の大将軍の験とは見えし
  1. `法皇中門の連子より叡覧あつて
  2. `ゆゆしげなる者共かな皆名乗らせよ
  3. `と仰せければ
  4. `まづ大将軍九郎義経
  5. `次に安田三郎義定
  6. `畠山庄司次郎重忠
  7. `梶原源太景季
  8. `佐々木四郎高綱
  9. `渋谷右馬允重資
  10. `とこそ名乗つたれ
  1. `義経具して武士は六人鎧は色々なりけれども面魂事柄いづれも劣らず成忠仰せ承つて義経を大床の際へ召して合戦の次第を委しう御尋ねあり
  2. `義経畏つて申されけるは
  3. `鎌倉前右兵衛佐頼朝木曾が狼藉鎮めんとて範頼義経を先として都合六万余騎を差し上せ候ふが範頼は勢田より参り候へども未だ見え候はず
  4. `義経は宇治の手を攻め破つてこの御所守護の為に馳せ参じて候へ
  5. `木曾は河原を上りに落ち候ひつるを軍兵共を以て追はせ候ひつるが今は定めて討つ取り候ひなんず
  6. `といと事もなげにぞ申されける
  1. `法皇大きに御感あつて
  2. `また木曾が余党など参つて狼藉もぞ仕る
  3. `汝はこの御所よくよく守護仕れ
  4. `と仰せければ畏り承つて四方の門を固めて待つほどに兵共馳せ集まつてほどなく一万騎ばかりになりにけり
  1. `木曾はもしの事あらば法皇取り奉つて西国へ落ち下り平家と一つにならんとて力者二十人揃へて持つたりけれども御所には九郎義経厳しう守護し奉ると聞えしかば叶はじとや思ひけん河原を上りに落ち行きけるが敵の大勢の中へ駆け入つて討たれんとする事度々に及ぶ
  2. `駆け破り駆け破り通りぬ
  1. `木曾涙を流いて
  2. `かかるべしとだに知りたりせば今井を勢田へは遣らざらまし
  3. `幼少竹馬の昔より死ならば一所で死なんとこそ契りしか
  4. `所々で討たれん事こそ悲しけれ
  5. `今一度今井が行方を聞かん
  6. `とて河原を上りにかかるほどに六条河原と三条河原との間にて敵襲ひ懸かれば取つ返し取つ返し木曾僅かなる小勢にて雲霞の如くなる敵の大勢を五六度まで追つ返し賀茂川さつとうち渡り粟田口松坂にもかかりけり
  7. `去年信濃を出でしには五万余騎と聞えしが今日四宮河原を過ぐるには主従七騎になりにけり
  8. `況して中有の旅の空思ひやられて哀れなり