(七の一)蛇性の淫第一部

原文

  1. `いつの時代なりけん
  2. `紀の国三輪が崎に
  3. `大宅の竹助といふ人ありけり
  4. `此人海の幸ありて
  5. `海郎どもあまた養ひ
  6. `の広物き物を尽してすなどり
  7. `家豊に暮しける
  8. `男子二人女子一人をもてり
  9. `太郎は質朴にてよくなりはひを治む
  10. `二郎の女子は大和の人のに迎へられて彼所にゆく
  11. `三郎の豊雄なるものあり
  12. `生長優しく
  13. `常に都風たる事をのみ好て
  14. `過活心なかりけり
  15. `父是を憂ひつつ思ふは
  16. `家財をわかちたりともて人の物となさん
  17. `さりとて他の家を嗣がしめんもはたうたてき事聞くらんがしき
  18. `只なすままにし立てて
  19. `博士にもなれかし
  20. `法師にもなれかし
  21. `命のは太郎がほだし物にてあらせんとて
  22. `強ひて掟をもせざりけり
  23. `此豊雄
  24. `新宮の神奴安倍の弓麿を師として行き通ひける
  1. `九月下旬
  2. `けふは殊になごりなくぎたる海の
  3. `東南の雲をして小雨そぼふり来る
  4. `師が許にてかりて帰るに
  5. `飛鳥の神秀倉見やらるるより
  6. `雨もやや頻なれば
  7. `其所なる海郎が屋に立ちよる
  8. `あるじのはひ出でて
  9. `こは大人弟子の君にてます
  10. `かく賤しき所に入らせ給ふぞいとりたる事
  11. `是敷きて奉らんとて
  12. `円座の汚げなるを清めてまゐらす
  13. `霎時むるほどは何か厭ふべき
  14. `なあわただしくせそとて休らひぬ
  1. `外の方に麗しき声して
  2. `此軒しばしませ給へといひつつ入り来るを奇しと見るに
  3. `年は二十にたらぬ女の
  4. `顔容髪のかかりいと艶ひやかに
  5. `遠山ずりの色よき着て
  6. `了鬟の十四五ばかりなるのげなるに
  7. `包みし物もたせ
  8. `しとどに濡れてわびしげなるが
  9. `豊雄を見て
  10. `さと打ち赤めて恥づかしげなるやかなるに
  11. `不慮に心動きて且思ふは
  12. `此辺にかうよろしき人の住むらんを今まで聞かぬことはあらじを
  13. `此は都人の三山詣せし次に
  14. `らしくここに遊ぶらん
  15. `さりとて男たつ者もつれざるぞいとはしたなる事かなと思ひつつ
  16. `すこし身退きて
  17. `ここに入らせ給へ
  18. `雨もやがてぞ休みなんといふ
  1. `女しばしさせ給へとて
  2. `ほどなき住ひなればつひ並ぶやうに居るを
  3. `見るに近まさりして
  4. `此世の人とも思はれぬばかり美しきに
  5. `心も空にかへる思して
  6. `女にむかひ
  7. `貴なるわたりの御方とは見奉るが
  8. `三山詣やし給ふらん
  9. `峰の温泉にや出で立ち給ふらん
  10. `かうすさまじき荒礒を何の見所ありて狩りくらし給ふ
  11. `ここなんいにしへの人の
  12. `くるしくもふりくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに
  13. `とよめるは
  14. `まことけふのあはれなりける
  15. `此家賤しけれど
  16. `おのれが親の目かくる男なり
  17. `心ゆりて雨休め給へ
  18. `そもいづ地旅の御宿とはし給ふ
  19. `御見送せんも却りて無礼なれば
  20. `もて出で給へといふ
  1. `女いと喜しき御心を聞え給ふ
  2. `其御おもひにしてまゐりなん
  3. `都のものにてもあらず
  4. `此近き所に年来住ごし侍るが
  5. `けふなんよき日とて那智に詣で侍るを
  6. `なる雨の恐しさに
  7. `やどらせ給ふともしらでわりなくも立ちよりて侍る
  8. `ここより遠からねば
  9. `此小休に出で侍らんといふを
  10. `強ちに此傘もてゆき給へ
  11. `何の便にも求めなん
  12. `雨は更に休みたりともなきを
  13. `さて御住居は何方
  14. `是より仕へ奉らんといへば
  15. `新宮の辺にて
  16. `県の真女子が家はと尋ね給はれ
  17. `日も暮れなん
  18. `御恵のほどを指し戴きて帰りなんとて
  19. `傘とりて出づるを見送りつも
  20. `あるじが蓑笠かりて家に帰りしかど
  21. `の露忘れがたく
  22. `しばしまどろむの夢に
  23. `かの真女子が家に尋ねゆきて見れば
  24. `門も家もいと大きに造りなし
  25. `蔀おろし簾垂れこめて
  26. `ゆかしげに住みなしたり
  27. `真女子出で迎へて
  28. `御情わすれがたく待ち恋ひ奉る
  29. `此方に入らせ給へとて奥の方にいざなひ
  30. `菓子種々管待しつつ
  31. `喜しき酔ひごこちに
  32. `つひに枕をともにしてかたるとおもへば
  33. `夜明けて夢さめぬ
  34. `現ならましかばと思ふ心のいそがしきに
  35. `朝食も打ち忘れてうかれ出でぬ
  1. `新宮の郷に来て県の真女子が家はと尋ぬるに
  2. `更にしりたる人なし
  3. `午時かたぶくまで尋ね労ひたるに
  4. `かの了鬟東の方よりあゆみ来る
  5. `豊雄見るより大に喜び
  6. `娘子の家はいづくぞ
  7. `もとむとて尋ね来るといふ
  8. `了鬟打ちゑみて
  9. `よくも来ませり
  10. `こなたに歩み給へとて
  11. `前に立てゆくゆく
  12. `幾ほどもなく
  13. `ここぞと聞ゆる所を見るに
  14. `門高く造りなし家も大きなり
  15. `蔀おろし簾たれこめしまで
  16. `夢のに見しと露違はぬを
  17. `怪しと思ふおもふ門に入る
  18. `了鬟走り入て
  19. `詣でたまふを誘ひ奉るといへば
  20. `いづにますぞ
  21. `こち迎へませといひつつ立ち出づるは真女子なり
  1. `豊雄
  2. `ここに安倍の大人とまをすは
  3. `年来物学ぶ師にてます
  4. `彼所に詣づる便に傘とりて帰るとて推して参りぬ
  5. `御住居見おきて侍れば又こそ詣で来んといふを
  6. `真女子強ちにとどめて
  7. `まろや努いだし奉るなといへば
  8. `了鬟立ちふたがりて
  9. `おほがさ強ひて恵ませ給ふならずや
  10. `其がむくひに強ひてとどめまゐらすとて
  11. `腰を押して南面の所に迎へける
  12. `板敷の間に床畳を設けて
  13. `几帳
  14. `御厨子の飾
  15. `壁代の絵なども
  16. `皆古代のよき物にて
  17. `の人の住居ならず
  18. `真女子立ち出でて
  19. `故ありて人なき家とはなりぬれば
  20. `かなる御饗もえし奉らず
  21. `只薄き酒一杯すすめ奉らんとて
  22. `高杯平杯の清らなるに
  23. `海の物山の物盛りならべて
  24. `瓶子土器げて
  25. `まろや酌まゐる
  26. `豊雄また夢心してさむるやと思へど
  27. `正に現なるを却りて奇しみゐたる
  1. `も主もともに酔ひごこちなるとき
  2. `真女子杯をあげて豊雄にむかひ
  3. `花精妙桜が枝の水にうつろひなす面に
  4. `春吹く風をあやなし
  5. `梢たちぐく鴬のある声していひ出づるは
  6. `なきことのいはでやみなんも
  7. `いづれの神になき名すらんかし
  8. `努徒なるにな聞き給ひそ
  9. `は都の生れなるが
  10. `父にも母にもはやう離れまゐらせて
  11. `乳母の許に成長りしを
  12. `此国の受領の下司
  13. `県の何某に迎へられて伴ひ下りしははやく三とせになりぬ
  14. `は任はてぬこの春
  15. `かりそめの病に死し給ひしかば
  16. `便なき身とはなり侍る
  17. `都の乳母も尼になりて
  18. `行方なき修行に出でしと聞けば
  19. `彼方も亦しらぬ国とはなりぬるをあはれみ給へ
  20. `きのふの雨のやどりの御恵に
  21. `ある御方にこそとおもふ物から
  22. `今より後の齢をもて御宮仕し奉らばやと願ふを
  23. `きたなき物に捨て給はずば
  24. `一杯に千とせの契をはじめなんといふ
  1. `豊雄もとより
  2. `かかるをこそと乱心なる思ひ妻なれば
  3. `塒の鳥の飛び立つばかりには思へど
  4. `おのが世ならぬ身を顧れば
  5. `兄弟のゆるしなき事をと
  6. `かつ喜しみ
  7. `且恐れみて
  8. `頓に答ふべき詞なきを
  9. `真女子わびしがりて
  10. `女の浅き心より嗚呼なる事をいひ出でて
  11. `帰るべき道なきこそなけれ
  12. `かう浅ましき身を海にもらで
  13. `人の御心を煩はし奉るは罪深きこと
  14. `今の詞は徒ならねども
  15. `只酔ひごこちの狂言におぼしとりて
  16. `ここの海にすて給へかしといふ
  1. `豊雄はじめより
  2. `都人の貴なる御方とは見奉るこそ賢かりき
  3. `鯨よる浜に生ひ立ちし身の
  4. `かくしきこといつかは聞ゆべき
  5. `即ての御答もせぬは
  6. `親兄に仕ふる身の
  7. `おのが物とては爪髪の外なし
  8. `何を禄に迎へまゐらせん便もなければ
  9. `身の徳なきを悔ゆるばかりなり
  10. `何事をもぞおぼし耐へ給はば
  11. `いかにもいかにも後見し奉らん
  12. `孔子さへ倒るる恋の山には
  13. `をも身をも忘れてといへば
  14. `いと喜しき御心を聞えまゐらするうへは
  15. `貧しくとも時々ここに住ませ給へ
  16. `ここにの二つなき宝にめで給ふ帯あり
  17. `これ常にかせ給へとてあたふるを見れば
  18. `金銀を飾りたる太刀の
  19. `あやしきまで鍛ふたる古代の物なりける
  20. `物のはじめに辞みなんはあしければとてとりて納む
  21. `今夜はここにあかさせ給へとて
  22. `あながちにとどむれど
  23. `まだ赦なき旅寝は親の罪し給はん
  24. `の夜よく偽りて詣でなんとて出でぬ
  25. `其夜もねがてに明けゆく
  1. `太郎は網子ととのふるとてめて起き出で
  2. `豊雄が閨房の戸のをふと見入りたるに
  3. `消え残りたる灯火の影に
  4. `きらきらしき太刀を枕に置きて臥したり
  5. `あやし
  6. `いづちより求ぬらんとおぼつかなくて
  7. `戸をあららかに明くる音に目さめぬ
  8. `太郎があるを見て
  9. `召し給ふかといへば
  10. `きらきらしき物を枕に置きしは何ぞ
  11. `き物は海人の家にふさはしからず
  12. `父の見給はばいかに罪し給はんといふ
  13. `豊雄
  14. `財を費して買ひたるにもあらず
  15. `きのふ人の得させしをここに置きしなり
  16. `太郎
  17. `いかでさる宝をくるる人此辺にあるべき
  18. `あなむつかしの唐言書きたる物を買ひたむるさへ
  19. `世のなりと思へど
  20. `父の黙りておはすれば今までもいはざるなり
  21. `其太刀帯びて大宮の祭を練るやらん
  22. `いかに物に狂ふぞといふ声の高きに
  23. `父聞きつけて徒者が何事をか仕出でつる
  24. `ここにつれ来よ太郎と呼ぶに
  25. `いづちにて求めぬらん
  26. `軍将等の佩き給ふべき
  27. `きらきらしき物を買ひたるはよからぬ事
  28. `のあたりに召して問ひあきらめ給へ
  29. `おのれは網子どもの怠るらんといひ捨てて出でぬ
  1. `母豊雄を召して
  2. `さる物何の料に買ひつるぞ
  3. `米も銭も太郎が物なり
  4. `わぬしが物とて何をか持ちたる
  5. `日来は為すままに置きつるを
  6. `かくて太郎に悪まれなば
  7. `天地の中に何国に住むらん
  8. `賢き事をも学びたる者が
  9. `など是ほどの事わいためぬぞといふ
  10. `豊雄
  11. `に買ひたる物にあらず
  12. `さる由縁有りて人の得させしを
  13. `兄の見咎めてかくのたまふなり
  14. `
  15. `何の誉ありてさる宝をば人のくれたるぞ
  16. `更におぼつかなき事
  17. `只今所縁かたり出でよと罵る
  18. `豊雄
  19. `此事只今は面俯なり
  20. `人伝に申し出で侍らんといへば
  21. `親兄にいはぬ事を誰にかいふぞと声あららかなるを
  22. `太郎の嫁の刀自にありて
  23. `此事なりとも聞き侍らん
  24. `入らせ給へと宥むるに
  25. `つひ立ちて入りぬ
  1. `豊雄刀自にむかひて
  2. `兄の見咎め給はずとも
  3. `に姉君をかたらひてんと思ひ設けつるに
  4. `速くまるる事よ
  5. `かうかうの人ののはかなくてあるが
  6. `後身してよとて賜へるなり
  7. `己が世しらぬ身の
  8. `御赦さへなき事は重き勘当なるべければ
  9. `今さら悔ゆるばかりなるを
  10. `姉君よく憐み給へといふ
  11. `刀自打ち笑みて
  12. `男子のひとり寝し給ふが
  13. `ていとほしかりつるに
  14. `いとよき事ぞ
  15. `愚なりともよくいひとり侍らんとて
  16. `某夜太郎に
  17. `かうかうの事なるは幸におぼさずや
  18. `父君の前をもよきにいひなし給へといふ
  1. `太郎眉を顰めて
  2. `あやし
  3. `此国の守の下司に県の何某と云ふ人を聞かず
  4. `我家保正なればさる人の亡くなり給ひしを聞えぬ事あらじを
  5. `まず太刀ここにとりて来よといふに
  6. `刀自やがて携へるをよくよく見をはりて
  7. `長嘘をつぎつつもいふは
  8. `ここに恐しき事あり
  9. `近来都の大臣殿の御願の事みためしめ給ひて
  10. `権現におほくの宝を奉り給ふ
  11. `さるに此神宝ども
  12. `御宝蔵の中にて頓に失せしとて
  13. `大宮司より国の守に訴へ出で給ふ
  14. `守此を探り捕らんために
  15. `助の君文室広之
  16. `大宮司の館に来て
  17. `今もはらに此事をはかり給ふ由を聞きぬ
  18. `此太刀いかさまにも下司などのくべき物にあらず
  19. `猶父に見せ奉らんとて
  20. `御前に持ちゆきて
  21. `かうかうの恐しき事のあなるはいかが計らひ申さんといふ
  22. `を青くして
  23. `こは浅ましき事の出できつるかな
  24. `日来は一をもぬかざるが
  25. `何の報にてかう良らぬ心や出できぬらん
  26. `他よりあらはれなば此家をもされん
  27. `の為子孫の為には不孝の子一人惜からじ
  28. `は訴へ出でよといふ
  1. `太郎夜の明くるを待ちて大宮司の館に来り
  2. `しかじかのよしを申し出でて
  3. `此太刀を見せ奉るに
  4. `大宮司驚きて
  5. `是なん大臣殿の献物なりといふに
  6. `助聞き給ひて猶し物問ひあきらめん
  7. `召捕れとて武士等十人ばかり
  8. `太郎をにたててゆく
  9. `豊雄
  10. `かかる事をも知らで見ゐたるを
  11. `武士等押かかりて捕ふ
  12. `こは何の罪ぞといふをも聞き入れず縛めぬ
  13. `父母太郎夫婦も今は浅ましと嘆きまどふばかりなり
  14. `公庁より召し給ふ
  15. `疾あゆめとて中にとりこめて館に追ひもてゆく
  1. `助豊雄をにらまへて
  2. `神宝を盗みとりしは例なき国津罪なり
  3. `種々はいづ地に隠したる
  4. `かにまをせといふ
  5. `豊雄此事を覚り
  6. `涙を流して
  7. `おのれ更に盗をなさず
  8. `かうかうの事にて県の何某の女が
  9. `の帯びたるなりとて得させしなり
  10. `今にもかの女召して
  11. `おのれが罪なき事を覚らせ給へ
  12. `助いよよ怒りて
  13. `我下司に県のを名のる者ある事なし
  14. `かく偽るはますます大なり
  15. `豊雄
  16. `かく捕はれていつまで偽るべき
  17. `あはれかの女召して問はせ給へ
  18. `助武士等に向ひて
  19. `県の真女子が家はいづくなるぞ
  20. `渠を押して捕へ来れといふ
  1. `武士等かしこまりて
  2. `又豊雄を押したてて彼所に行きて見るに
  3. `しく造りなせし門の柱も朽ち腐り
  4. `軒の瓦も大かたは砕けおちて
  5. `草しのぶ生ひさがり
  6. `人住むとは見えず
  7. `豊雄是を見て只あきれにあきれゐたる
  8. `武士等かけ廻りて
  9. `ちかきとなりを召しあつむ
  10. `木きる
  11. `かつ男等恐れ惑ひて跪る
  1. `武士他等にむかひて
  2. `此家何者が住みしぞ
  3. `県の何某がのここにあるはまことかといふに
  4. `鍛冶の翁はひ出でて
  5. `さる人の名はかけてもうけ給はらず
  6. `此家三とせばかりまでは
  7. `村主の何某といふ人の
  8. `賑はしくて住み侍るが
  9. `筑紫に商物積みてくだりし
  10. `其船行方なくなりて後は
  11. `家に残る人も散りぢりになりぬるより
  12. `絶えて人の住むことなきを
  13. `此男のきのふここに入りて
  14. `漸して帰りしを奇しとて
  15. `塗師が申されしといふに
  16. `さもあれ
  17. `よく見極めて殿に申さんとて
  18. `門押ひらきて入る
  1. `家はよりも荒れまさりけり
  2. `なほ奥の方に進みゆく
  3. `前栽広く造りなしたり
  4. `池は水あせて水草も皆枯れ
  5. `野ら薮生ひかたぶきたる中に
  6. `大きなる松の吹き倒れたるぞ物すさまじ
  7. `客殿の格子戸をひらけば
  8. `腥き風のさと吹おくりきたるに恐れまどひて
  9. `人々後にしりぞく
  10. `豊雄只声を呑みて嘆きゐる
  1. `武士の中に巨勢の熊梼なる者
  2. `胆ふとき男にて
  3. `人々我後につきて来れとて
  4. `板敷をあららかに踏みて進みゆく
  5. `塵は一寸ばかり積りたり
  6. `鼠の糞ひりちらしたる中に
  7. `古き帳を立て
  8. `花の如くなる女ひとりぞ
  9. `熊梼女にむかひて
  10. `国の守の召しつるぞ
  11. `急ぎまゐれといへど
  12. `答へもせであるを
  13. `近く進みて捕ふとせしに
  14. `忽ち地も裂くるばかりの霹靂鳴り響くに
  15. `許多の人逃ぐる間もなくてそこに倒る
  16. `さて見るに
  17. `女はいづち行きけん見えずなりにけり
  1. `此床の上にきらきらしき物あり
  2. `人々恐る恐るゆきて見るに
  3. `狛錦
  4. `呉の綾
  5. `倭文
  6. `
  7. `
  8. `
  9. `
  10. `鍬の類
  11. `皆失せつる神宝なりき
  12. `武士等これをとりもたせて
  13. `怪しかりつる事どもを詳に訴ふ
  14. `助も大宮司も妖怪のなせる事をさりとて
  15. `豊雄をむ事をゆるくす
  16. `されど当罪免れず
  17. `守の館にわたされて牢裏に繋がる
  18. `大宅の父子多くの物をして罪をによりて
  19. `百日がほどに赦さるる事を得たり
  1. `かくて世にたちらんも面俯なり
  2. `姉の大和におはすを訪らひて
  3. `しばし彼所に住まんといふ
  4. `げにかう憂きめ見つる後は重き病をも得るものなり
  5. `ゆきて月ごろを過せとて
  6. `人を添へて出でたたす