一四一七三優婆崛多弟子の事
原文
- `今は昔天竺に仏の御弟子に優婆崛多といふ聖おはしき
- `如来滅後百年ばかりありてその聖に弟子ありき
- `いかなる心ばへをか見給ひたりけん
- `女人に近づく事なかれ
- `女人に近づけば生死に廻る事車輪の如し
- `と常にいさめ給ひければ弟子の申さく
- `いかなる事を御覧じて度々かやうに承はるぞ
- `我も証果の身にて侍ればゆめゆめ女に近づく事あるべからず
- `と申す
- `余の弟子どもも
- `この中には殊に貴き人をいかなればかく述給ふらん
- `と怪しく思ひけるほどにこの弟子の僧物へ行とて河を渡りける時女人出で来て同じく渡りけるがただ流れに流れて
- `あら悲し
- `我を助け給へ
- `あの御房
- `と云ひければ
- `師の述給ひし事あり
- `耳に聞入じ
- `と思ひけるがただ流れに浮き沈み流れければいとほしくて寄りて手を取りて引き渡しつ
- `手のいと白く豊肥やかにていとよかりければこの手を離しえず
- `女
- `今は手をはづし給へかし
- `物恐ろしき物かな
- `と思ひたる気色にて云ひければ僧の曰く
- `先世の契り深き事やらん
- `極めて志深く思ひ聞ゆ
- `我が申さん事聞き給ひてんや
- `と云ひければ女答ふ
- `只今死ぬべかりつる命を助け給ひたればいかなる事なりとも何しにかは辞み申さん
- `と云ひければ嬉しと思ひて萩薄の生ひ茂りたる所へ手を取りて
- `いざ給へ
- `とて引き入れつ
- `押伏せてただ犯しに犯さんとて股に挟まれてある折この女を見れば我師の尊者なり
- `あさましく思ひて引き退かんとすれば優婆崛多股に強く挟みて
- `なんの料にこの老法師をばかくはせたむるぞや
- `これや汝女犯の心なき証果の聖者なる
- `と述給ひければ物覚えず恥しくなりて挟まれたるを逃れんとすれどもすべて強く挟みてはづさず
- `さてかく喧騒り給ひければ道行く人集まりて見る
- `あさましく恥かしき事限りなし
- `かやうに諸人に見せて後起き給ひて弟子を捕へて寺へおはして鐘をつき衆会を成して大衆にこの由語り給ふ
- `人々笑ふ事限りなし
- `弟子の僧生きたるにもあらず死にたるにもあらず覚えけり
- `かくの如く罪を懺悔してければ阿那含果を得つ
- `尊者方便を廻らして弟子をたばかりて仏道に入らしめ給ひけり