四二 福井

現代語訳

  1. `福井は永平寺から三里ほどなので、夕餉をとってから出かけたが、黄昏で道がよくわからない
  2. `ここに神戸洞哉という老いた隠遁者がいる
  3. `いつであったか、江戸に来て、私を訪ねたことがあった
  4. `もう十年以上も前のことである
  5. `藤原俊成は山陰に 老ひさらぼえる 犬ざくら 追ひ放たれて とふ人もなしと詠んだが、どれほど老いさらばえてしまっただろうか、それとも死んでしまっただろうか
  6. `と人に尋ねてみると、
  7. `まだ生きていて、どこそこにいる
  8. `と教えてくれた
  9. `市中に、ひっそりと引き籠もったようにして、夕顔やへちまが絡まり、鶏頭や箒木がに戸口を隠している粗末な小さな家にがあった
  10. `さてはこの家に違いない
  11. `と門を叩けば、侘しげな女が出てきて、
  12. `どちらからおいでのお坊さんですか
  13. `主人はこの近くの某という人のところに行っています
  14. `もし御用なら、そちらを訪ねてください
  15. `と言う
  16. `彼の妻に違いない
  17. `とわかった
  18. `そういえば、源氏物語の『夕顔』に、源氏が五条界隈のある屋敷に咲く白い花を見つけて随身に問うと「夕顔といいまして、花の名は人のようでも、こうした賤しい垣根に咲くのです」と答えるこんな風情ある場面があった
  19. `と思いつつ、すぐに訪ねて逢うことができ、その家に二夜泊まって、
  20. `名月は敦賀の港で見よう
  21. `と旅立った
  22. `洞哉
  23. `一緒に送りましょう
  24. `と裾を剽軽に絡げて、
  25. `それでは、道案内をば
  26. `と浮かれ出た